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Channel: 水の門
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#sarutanka

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今年の折り返し地点まであと一ヶ月ほどになりました。ぼちぼち来年の干支がらみの短歌を作らなければと思いつつ、なかなか…です。
そこで、サル(猿、去る、申…etc.)に因んだ短歌作りに発破をかけるため、Twitterで二年以上かけてメモってきた#sarutankaを、備忘録として公開エントリーにします。


猿轡されたる熊が炎天下ぽつんぽつんと街道にをり/本多稜
限界の村の山畑守りつつ今日も確かに生きて猿追ふ/望月ふみ江
猿橋のたもとを染めるもみじ葉のひとひらふたひら欄干に落つ/飯島早苗
猿の害を網にて囲ふ里の畑白菜大根あをあを育つ/篠原俊子
穭田(ひつじだ)に座り込みたる猿の群れ穂を抜き食みて腹を充たせり/篠原俊子
腹すかし猫やら鵯やら来る庭に今日は一日離れ猿ゐる/河野裕子
玄関の林檎箱より林檎ひとつ持ちゆきし猿今朝はまだ来ず/河野裕子
離れ猿空を見上げて瞬(しばた)けり隠れなき老い赤き横顔/河野裕子
群れを率てをりし日のことこの猿は時どき思ふか屋根に芋食ふ/河野裕子
界隈の屋根から屋根を渡りゆく猿の腕(かひな)の意外に長し/河野裕子
どこでどう死んでゆくのか横向けば眼窩の窪みふかき猿はも/河野裕子
隣り家のさるすべりの紅(こう)散りこみて蔽ひゆきつつ吾が蝉塚を/苑翠子
人よりも山猿どものおほくすむ十津川郷へ尾のある人と/小黒世茂
風に吹かれそよげる猿に乞わむかも白毛が身をおおう安らぎ/佐伯裕子
ひとりではないのに独りひとりきり声あげて泣くこころの猿(ましら)/佐伯裕子
ケースには猿の脳みそ蜂の蠟かく存らえて人の生命(いのち)は/佐伯裕子
失せしものかぎりも知らず抽き出しに森閑と反るサルノコシカケ/佐伯裕子
ものを食む秋の哀しさ萌え出でしサルノコシカケにくち光らせて/佐伯裕子
猿沢の池のほとりで横座る遠い瞳(め)をした鹿に会ひにき/山科真白
捕はれて檻に戻れるボス猿は素知らぬふりに夕陽を仰ぐ/長田貞子
霧はれて乗合バスはぱふぱふと猿羽根峠を越えゆきにけり/田上起一郎
「苦が去る」と古布にてつくる猿ぼぼの細き梅の枝に九匹のせる/米山桂子
猿も子を殺すことあり恐ろしと言ひつつ殺すところを見しむ/竹山広
何をなし終りてそこに置かれたる電話の横のモンキースパナ/竹山広
ベートーベンに聴き入る猿を見せられしゆふべ出でて食ふ激辛カレー/竹山広
右の歯と左の歯にて均等に嚙むこと大事とは知り申す/竹山広
聖書など要り申さずと断れば音する傘をひらきて去れり/竹山広
力のみが支配する猿の世界にも見目よき男をみなごあらむ/竹山広
電灯の紐を仰臥の胸近くおろせば今日はすたすたと去る/竹山広
あな欲しと思ふすべてを置きて去るとき近づけり眠つてよいか/竹山広
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る/大伴旅人
手長猿飼ふ兵あるをわが見しが時すぎぬればあやしともせず/田中克己
猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり/斎藤茂吉
月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾(ひれ)など欲(ほ)りしてをらむ/斎藤茂吉
あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にてし居れば灯があたりたり/斎藤茂吉
猿の面(おも)いと赤くして殺されにけり両国ばしを渡り来て見つ/斎藤茂吉
猿の肉ひさげる家に灯がつきてわが寂しさは極まりにけり/斎藤茂吉
空ひろく晴れたる下(もと)の猿ヶ辻きみに日照雨を教えしあたり/永田紅
天使魚の瑠璃のしかばねさるにても彼奴(きやつ)より先に死んでたまるか/塚本邦雄
袴さばきのたとへばわれをしのぎつつあはれ猿芝居の次郎冠者/塚本邦雄
さるすべり一花ひらきて梅雨いまだ明けぬあしたを初蝉の声/香月昭子
猿も出る裏山道をおどおどと上りて合歓の真盛りに逢ふ/狩野花江
病室の窓より見ゆるゴンドラがお猿のお籠のように揺れおり/飯沼鮎子
高き檻の内外にゐて面白きカバ、テナガザル、恋ビト、コドモ/石川美南
来し方も行く末もなし老猿が目を閉ぢてゐる冬の日だまり/永井陽子
猿の手を河童のミイラとして祀るさまざまな拉致ありし世の悲に/米川千嘉子
住むことを選んだ町に白い実と寒風、小猿、風船と汽車/東直子
ひとつ去りふたつ去りして苦の去るとましらここのつ細枝に遊ぶ/渡辺忠子
日盛りに職方ひとり登りいる工事場の屋根 白さるすべり/上野久雄
「猿だけは撃たれる時に目をつむる」駆除する人は深き眼に/岡本留音紗
この野郎! 揺れいる猿がしたたかに見上げていたりわれも淫らか/永田和宏
波勝崎その雌猿の石遊び時経てつひに〈文化〉となりぬ/古谷智子
口つけて谷の泉の水呑めば一寸猿似の私がうつる/喜多功
積乱雲に呼ばれたやうな感覚を残して夏の曲馬団去る/山田航

『反花篇』より

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河野愛子の歌集『反花篇』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・人恋ひて尽きざる人の歌はあり読みすてて立つ夜のてのひら
・庇はれて生き易かりし性も移らむ涙する少女を帰らしめにき
・かくてつたなき女の交(まじはり)を否むとも癒ゆるなき日の面をとらへき
・命終に迫る幻か知らねども「山上の変貌」を声に畏れたり
・臥したるは汝にふさはしとわが枕辺に立ちたる母は幾歳(いくつ)なりけむ

・ベッドより熱ある如き手を垂らす歌にむらがりてありし心情(こころ)は
・鬱々と物の創(はじめ)の風かあるためらひて智慧に入りし肉体
・いひがたき時のもなかと思ひしか戦争の死も十字架の死も
・言(ことば)ひとつペルソナとなる 自らの破れをこの夜歎きながらに
・言葉われを蔽(おほ)ふ寂しさを何と言はむ寂しさに勝ちしジーザスとはや

・眉引の月の遠きに群だてる藜(あかざ)の原はふかぶかと見ゆ
・春疾風に働きし大工夕まけておのが北国の言葉つぶやく
・いづこにか祝福ありし川水の芥に覗くちごぐるまの朱
・青みぞれ窓に降りそむ人の世の木の偶像と静まりをれば
・月魄(つきしろ)の射すや裸木「死の蔭の谷」を祝へる人もあるらむ

・窓開けてもの狂ひゐる人の眼にお辞儀かへしてわれは来にけり
・ふとむなしきこころにて電話かけむとぞ人を選びしもそのままに止(や)む
・病む病まぬ富むと富まざる勝者また敗者の眼をもすでに見たりし
・人の癒しとはならざるわれを負ひゆかめ濁る朝波は踝(くるぶし)に寄る
・夜半さめてめがねかくれば冷たしもありのすさびの歌ならなくに

・雪のうへに投げたるパンに鳥くだる日すがら白き飢へはあたらし
・雪にして問責の声を聴きしかど帰りなんいざ歌の臥しどに
・責むるより讃へてをりて安けかる今日のこころの澄むべくは澄む
・烏瓜あかし論理にしづまりてゐる頤(おとがひ)はつみにとほきか
・理性と啓示あらそひたりし中世のこゑひくし異土の月壁に凭る

・ベッド暮れて速き脈動を病む夜半風の巡礼のこころ知るかと
・より多く女が怨むことはりをこたびも知らむ冬鳥奔(はし)る
・曙は水より薄き天の雲ふりさけてカインの悲(ひ)を継ぐや知らず
・ふりかへるみ墓の百合のなましろきこの世の花の反りなましろき
・この古き山上都市ペルージア<山の上の町は隠るることなし>と言ひしジーザス

・出窓に積む古びて厚き書の嵩をしぐれの雨に出でて思ひつ
・わが言葉のするどきを責むる人の言葉もするどしや野に入日落ちつも
・亡き後に恋しさおそふ人間のつみと臥しをり春吹雪せり
・秋の日の電車の床に恋びとのつなぐ手さやに映れるは孤よ
・過ぎむとしふいに振りむく猫の眼にわれかすかなる傷を負ふ

・長女(をさのめ)の胸にたくはふる確執に見下(おろ)すとても枯れつくすかほ
・我儘に生きて或ひは独(ひとり)なり愛する椅子にかぜを聴きゐつ
・はらわたのなき木木やさし振りむきて木女とこそはなりはつれとか
・生きる日をおもしろしとはまたおもふ離合尽くして白きタートル
・家の内にてひとみな劇を演じゐる同じきわれとかすかにわらふ

・母が裔われにて終るかすかなる黒点とこそ夕刃持ちたり

短歌のあり方をめぐって

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猫の短歌からちょっと離れますが、以前こんな歌を作ったんです。

  心病む人が取り沙汰されていて社適の事務所に身を硬くする

それを障害者文化展に出すために、作業所にボランティアでいらしている国語の先生(元中学教師)に見ていただいたんです。
そしたら、(1)他の歌(五首出していました)に比べて弱い印象、(2)心を病んでいる、というのが自分なのか、他の人なのか見えてこない、(3)社適とは何か全然分からない、という指摘をもらいました。

ある人のことが社会適応訓練の事務所で噂されている という状況を具体的に描けば、噂されている人も傷つけるし、噂している当人にも気まずい思いをさせかねません。(「障害者に差別的な発言を、障害者を雇っている事務所で滔々と述べていた、無神経極まりない人」が暴露されてしまうわけですから。)

それで、散々迷いつつも先生のご意見を踏まえて、

  心病む人への誹(そし)り聞き流すことも適応訓練のうち

という短歌に変えてみました。他の四首のうち先生の評価が芳しくなかったものは、やはりもっと具体的になるよう推敲しました。
そしたら、先生は私の家に電話をかけていらして、こういう短歌を作り続けていていいの?と尋ねてきました。短歌どうこうもさることながら、差別されたことに目くじらを立てて生きるより、健常者と歩み寄っていくべきではないのかという、生き方についての問いかけでした。

それで、さらに私は歌を作り直そうとして、二首ほど新たに詠んだんですが、何かスローガンのような、行儀が良くてインパクトが薄い歌しかできなくなってしまいました。
初稿の五首連作を結社の先輩にも併行して見せてあったので、後日 三稿目も見せて意見を求めると、「初稿の方が心の叫びが出ていて、訴えるものがあり、あなたらしい」とおっしゃいました。
私は結局、国語の先生に手紙を書いて、失礼とは承知しつつも初稿を通しました。

つまり、理路整然と明確に詠い過ぎない方が良いシチュエーションもあるわけです。そういう込み入った状況を詠まないくらいに人間が出来上がっていた方がいいのかもしれないですけど…。実際には、生活や人間関係の中で感じた葛藤を詠まずにいられない、そうして初めて昇華(消化)できるということも多いです。

長くなりました。どうも失礼しました。


*2012年6月6日 某掲示板にupしたものの転載。

永井陽子

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『永井陽子全歌集』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


『葦牙』
・暖冬の雨 偽善者は顔をそむける
・水鉄砲は造物主への子供の謀反
・われら神のまま子 額に雪が舞う
・神もまた夢想癖持つ 帆が見える

・偶像がこわれたのです いくたびも訪ねた町の画集をたたむ
・使われなかった方眼紙のように歩道 だれもついてくるな
・神とあなたの間に私がいるという まわれまわれよ回転木馬
・指先に息吹きかければ遠くブランコのきしる音する聖夜
・破かれるかもしれない葉書潮風に過去への切手きっちりと貼る

・幼年時代の記憶をたどれば野の果てで幾度も同じ葬列に会う
・手の中で透明になってしまうまで 秋 弄ぶ君のイニシャル
・宗教は持たぬ・若さも信じぬと叫ぶ 遠くの双樹に飛雪
・どんな言葉も道具にすぎぬくやしさの梯子まっすぐ天まで掛けよ
・地の底にどこへも行けぬ鬼がいてくやしまぎれに歌う賛美歌

・投げた石の速さで返りくる痛み意地けたこころ晩夏にさらす
・たましいはうすぐれの街に切る十字すりぬけながら さやげ群竹
・問えばまた降るあめの下生れてきてこのうなばらに試す鎮魂
・地底より巡礼は来て過ぎゆきぬちちははの骨かすかに鳴る夜


『なよたけ拾遺』
・三界にかがやく羽根となるまでを飛べたをやかに君のオーボエ
・田に遊び野草に遊ぶ神の背が父に似てゐる やがてさみだれ
・傷をもつ腕といへどほうほうと樵来る道春はるばかり
・組みかへてまた天をさすその指の稚き血すぢをかなしみ伏せり
・なづないろした布一枚を買ふことが夢なり天使地にひさぎつつ

・かたくなに人語をこばみ来し耳がいま早暁のみどりに痛む
・みそぎとはこころひそかにそむくこと素足を濡らし朝のつゆ踏む
・神のこゑほの聞きしかと出でゆく朝 遮断機は空よりおりる
・静脈のなか星つぶて飛ぶ山の木のさはだち胸にねむる石切り
・けさたちし秋風の野に透明なメトロノームはひかるとおもふ

・それぞれのおもひはのべず父と母ゆふぐれに焚く火がうつくしき
・うつむきてひとつの愛を告ぐるときそのレモンほどうすい気管支
・血がにじむまで指笛を 少年のみづらにみづはしたたりやまぬ
・人の血のいろかとおもふゆふやけの語彙しづめつつわたるかりがね
・何ゆゑに人と生れしや冬の胎内にゆふばえのごとき拒絶をはらみ


『樟の木のうた』
・夭かりしおのれ自身をやうやくんびゆるし開(あ)きゆく輪唱の輪が
・暮れなづむ駅舎の真上あれは父が死の辺に見たるゆふがほの天
・こころのかぎり奏づればやがてこのままに死に至らむか秋に刷く雲
・秋から冬へ窓のガラスも杳(くら)みゆきとほく聞こえてくる移調奏
・橋上を過ぐるこころぞ解かれよとわが影を先に歩ませてやる

・ほろびゆきし書体をおもひ海をおもひ見てをりぬただ慕といふ文字を
・立冬の風が砥をなす空の下あらがふものは磨かるるなり
・地下より出づる階段につと月が射しブックカバーにぎんいろのつばさ
・秋冷の都市に通夜あり棺に触れそのまま持ちて来たりし月光(ひかり)
・ふかくふかく吸ふ秋の彩(いろ)肺胞はいまあざやかな陽のステンドグラス

・がうがうとさくら花びらうづを巻き馬蹄形なす春のおほぞら
・発熱する君かねむれぬ雨の夜に金魚のにほひふとたちきたる
・べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
・天への梯子さがしあぐねしをさな児にひと刷けの藍くれたり雲は
・病棟にひとのからだの冷ゆる刻ヒマラヤ杉は育ちゆくなり

・秋の野のかそけき楽や人知れずをなもみめなもみ明(あか)き萩の実
・人よ、たやすく呼ぶなかばふなさむざむと地のゆふあかね歩みきるのみ
・月明の萩の野末を面相筆がしなやかにとほく歩みゆきたる
・遊楽にとほく月日は経たりもみぢする空にひとすぢの白髪を見き
・蜘蛛の張る糸たんぽぽの絮毛おのもおのもちひさきものは空に光れる

・ふりかへりまたふりかへりひとすぢのかなしみのなかにおりてゆく夜
・冬の掌上ほのかに明かる語彙がありいづれの星に咲くれんげさう


『ふしぎな楽器』
・春雷が今し過ぎたる路上より起ちしなやかにf(フォルテ)は歩む
・譜を抜けて春のひかりを浴びながら歩むf(フォルテ)よ人体のごとし
・春秋人を待たずといへど歩み来る長身はいまたをやかなf(フォルテ)
・ぽこぽこと真昼の木魚終日をやはらかなからたちの棘へ降る雨
・ここはアヴィニョンの橋にあらねど♩♩♩曇り日のした百合もて通る

・曇天にかつこかつこと鳴る羯鼓(かつこ)たれにか逢はむたれにか逢はむ
・都市は正午のみじかき休止澄明な沓音がそらを渡りゆきたり
・この世なる不思議な楽器月光に鳴り出づるよ人の器官すべてが
・月光はねむり入るきはにわたくしの関節をすべてはづしてしまふ
・立つたままダビデの像がねむりたれば歩きはじめるロビーのゴムの木

・バラライカロシア料理の店にあるそのことをしもさびしくおもふ
・どぶねずみされど一夜は盛装の男女にて聴くドヴォルザークを
・今宵わたしはただ一挺のチェロとなり月の路上によこたはりたし
・「風来坊」に入りぎはわたくしのみが聞く初冬の風のこゑ ふ・う・ら・い・ぼ・う
・高熱のまどろみのそことろとろとかたちうしなひゆくヴァイオリン

・定命の泥のごときがわが身より流れしづかな方丈となる
・明朝体は美しければしくしくとながめてひと日はかどりがたし
・丈たかき斥候(ものみ)のやうな貌(かほ)をしてf(フォルテ)が杉に凭れてゐるぞ


『モーツァルトの電話帳』
・あまでうすあまでうすとぞ打ち鳴らす豊後の秋のおほ瑠璃の鐘
・鬼のごとしと定家が言へる己が文字世俗を記して折れ曲がるなり
・からーんと晴れた空にひばりのこゑもせずねむたさうな遮断機
・きっぱりと人に伝へてかなしみは折半せよと風が吹くなり
・十人殺せば深まるみどり百人殺せばしたたるみどり安土のみどり

・するすると「の」の字がのびて宙天をさがりくるさまゆめみて候
・セザンヌのリンゴや瓶や玉葱も息をしてゐるしづかな聖夜
・どどどどと風が吹く日の塔頭(たつちゆう)にカケスがうたふたけやぶやけた
・どぶねずみどもが酔ふたるいきほひで師走の街に言ふ一揆論
・土曜日はガラスの中のペンギンを見にゆくみんな帽子をかぶり

・軒先へ法師蝉来てをしいをしいほんにをしいとつらつら鳴けり
・のこのことファゴットの音歩みゆきまたかへりくる二百十日を
・ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり
・碧天(へきてん)を震撼せしめ 信長の罵詈雑言の一オクターブ
・ままよ ひとり帽子も靴もぶかぶかと〈赤いはりねずみ〉へ行くブラームス

・みのむしみのむし高き天より垂れさがり揺れてゐるこの国の中庸
・みみづくのやうなものがほうと息吐く楽屋口のくらがり
・明朝の活字しくしく見てをれば歩きはじめる〈葡萄耳人〉(ぽるとがるじん)
・めぐり来る閏(うるふ)の年のことなどを語尾やはらかにひとは語らひ
・ゆふぞらに風の太郎がひろげゆくあかがねいろの大風呂敷は

・夜ごと背をまるめて辞書をひくうちに本当に梟になってしまふぞ
・落書きは空にするべし少年が素手もて描く少女の名前
・ロビーにも射す月あかり立ったままダビデの像は目を閉ぢねむる
・わづかなよろこびあれば他人を責めがたし今日あさがほがはじめて咲けり
・嗤ひをるあの白雲め天と地のつっかひ棒をはづしてしまへ

・輪をなせる記憶の底ひほそほそと雨に濡れゐるやぐるまさうは
・亥(ゐ)の刻はまつりのをはり 天上へ雲のうづしほ逆巻きかへす
・建築はこほれる音楽などといふこと東洋にふさはしからず


『てまり唄』
・つくねんと日暮れの部屋に座りをり過去世のひとのごとき母親
・しやきしやき喰む秋茗荷職業を持つゆゑににがき日もありしこと
・人ひとりんび逢はぬがむげにかなしくて野に放つゆめいろのすいつちよ
・こころねを語らむとする辺にありてあやしき賤の夕顔の花
・すりへらしすりへらしゆく神経の線香花火ほどのあかるさ

・ややありてくもりガラスに息をかけ引目鉤鼻描きはじめぬ
・半濁音取り落としたる文などを書く母がをりひそと梅が香
・さみどりの風がクサタヲクサタヲと吹く日になれば歩まむ母も
・うたうたふふくろふが居て巷間へほうほうほうと散らす夜桜
・婉曲を美とするくにのさくらばなへりくだりつつひらきはじむる

・洋服の裏側はどんな宇宙かと脱ぎ捨てられた背広に触れる
・さりながらさりながらとてくりかへす日常に降る銀の秋雨
・ことことと戸を叩く風 積年のまづしき父母のおもひのやうに
・手を振れば振り返し手をさしのべて触るれば消ゆるひかりのすすき
・「一字下げる」それだけなれど決めがたしたそがれの人生の段落

・仕事上のことにてあれど語らへば今日つややかな言葉の余韻
・丁丁と打たれてのちを打ち返し艶めきてゐる朝のこころぞ
・さりげなく人の弱点におよび入る耳掻きほどのほそさするどさ
・新しき鋏は夜のしじまにてひとを恋ほしみしやきしやきと鳴る
・みのむしが秋のさくらに垂れさがりなうなうなうともの申すなり

・歳月が梳き流したる空の藍書庫より出でてしばらくは見つ
・あさがほがしづかにほどく藍を見き身の丈ほどの範囲を生きて
・糸巻き雲おろしがね雲 母は言ふかなしみいろの雲の名前を
・母とふたり生きてほとほと疲れたれば海のやうなる曇日が好き
・心不調ゆゑにしばらく休みます 雁来る頃の表札に記す

・はつきりともの言うてのちさみしけれ石造りの街あらば行きたし
・ともしびが消えゆくやうにねむること祈りてをりぬ母のかたへに
・苦しみを背に負うものは仰げとぞ空に枝を張るゑんじゆ 鬼の木
・長年の風説に尾も色あせて風見の鶏(とり)はもうねむりたし
・うらを焙りおもてを焙りまたうらを焙ればゆめの色なるするめ

・何を言ふつもりもなけれど見てをればワイシャツの背を風は出入りす
・木の芽流しつばな流しといふ雨の降り方自己のあり方 今日も
・ぽわぽわとうつけた風を吹くからに肩へ触れくる白はなみづき
・ブラインドなかばは開けて人不在 しづかな机の上のしましま
・何を祝すにあらねど川面越えてくるアルトリコーダーのうたごゑ

・ふりそそぐ秋陽のなかに瞑想中のかまきりがゐる大手門前
・終日をみづあめのやうなものまとひ人の辺にありきと記すのみ
・日曜はゆめの領域にて暮らしてのひらなどに書く「のりしろ」と
・初冬まで咲き残りたる萩一枝 一枝ほどの単純がよし
・その端は茫洋としてとめどなき幅広の雲ながれてゆけり

・大鉈をふるふがごとき決断を迫られてゐる冬のいちにち
・しんしんと己がこころを見てをればすきとほりゆく冬至の南瓜
・決めかねて歩みをかへす頭上まで降りてきてゐる雲のだんだら
・山茶花を折らむとするに細枝のしなやかな鞭に打ち返さるる
・病むものがあればながむる往来の電柱もまたさびし寒の日

・わがこころ牛車のごとしと思ひつつごとりごとりと曳き出だすなり
・たましひを奪はれてなほ生き継げる老人がこの朝に鞠つく
・いちまいの雑巾なればわたくしは四つ折りにされてもしかたなし
・大つづら在らばこころを封じ込め十文字にぞくくり置きたし
・死にたくてならぬひと日が暮れてのち手に掬ふ飴色の金魚を

・一行の詩歌の内に身をふるふ一本の木が見えたりこよひ
・とむらひの日は過ぎやがて腐りゆくマスクメロンやたまごや南瓜


『小さなヴァイオリンが欲しくて』
・自転車は陽のしましまを渡りけり街路樹のかげさやかに揺れて
・消息はツバメに聞けと記してより転居通知も出さず過ぎにき
・負けること負ふことされど夏の陽にたちまち乾きゆくTシャツは
・水のやうになることそしてみづからでありながらみづからを消すこと
・棚差しの一冊を抜きためらひてのち買ひ出づる真夏の街へ

・カーテンのむかうに見ゆる夕雲を位牌にも見せたくて夏の日
・くたびれたたましひたちのつばさにも似たるくつした星空に干す
・天袋に押し込められてゐる本が深夜きくきくこゑをたつるよ
・しつとりと夜露にぬれて靴下はつばさのごときものを広ぐる
・嫁ぎたる者天界へ行きし者それぞれが残し置けるがらくた

・さくらばな散りくる門(かど)に信楽のタヌキ一匹見捨ててきたる
・死して行く宙とはいづこ飛行機の大きな銀の腹を見上ぐる
・星ヶ丘越えてゆつくり来るバスを待ちながら聞く吃音鼻音
・〈栗ねずみ〉リスの異名よつやつやと月光に輝(て)る言の葉の実は
・熊手もて星をあつむる夢を見き老いより解かれはなやぐ母と

・責了としたき日常くさぐさのおもひを納めがらくたも捨て
・星崎行といふ名のバスが来る街に住み慣れて春どこへも行かず
・捨てられてわおんわおんと海底に泡吐く木魚夢に見しかな
・墓地に咲くタンポポの数記してのち山鳩色のノートを閉づる
・雑踏にまぎれやうやくやすらげる朱欒(ざぼん)のやうなこころとおもふ

・がらくたもすでになき家の縁側にころがりひかる母の指貫
・胸に指組みねむる癖 たましひのあそびは死へと至るあそびを
・一本のえんぴつをけづるおびえつつおのがこころを削るごとくに
・たれを呼び呼ばるるこゑか人の世は係り結びの法則に似て
・ひと夏を閉ぢて過ごせし耳にのみ初秋の風はきこゆるといふ

・疲れないやうにと告ぐるひくきこゑ聞きてそのまま職場へむかふ
・成りゆきにまかする方が良いこともあると語りしのちのしづけさ
・一冊の本を借りたることのみのえにしにながくかかはりて来し
・屈葬に惹かるることは言はざれどふたつみつよつ咲くももの花
・むかう側にはれんげ畑がひろごると死にゆく母に言ひたる嘘も

・父には父の母には母の子守唄ありしよ杜の樟のみが知る
・グレゴリオ聖歌のみ聴き過ごしたるさすがにながき夏ありしかな
・「あ」と言ひてそののち口を噤みをる少女の前に吾が立ちつくす
・ともかくも家の明かりを全部消す今日のつじつま合はなくてよし
・癪の種拾ひ集めてベランダのプランターにぞ蒔かむとぞおもふ

・ボールペンくるくるまはす近世の瓦礫のごとき歌群を前に
・熱とれぬままに見開くページにはつつみがまへといふ部首がある
・身体の不調を言へばうなづきて青年のごとき掌を額に置く
・カルテには記すことなけむそれぞれの心の内の今日のをどり字
・脈拍が一瞬途切れまた打つを君に語れぬ日のよるべなさ

・もうながく病垂れなる内に棲むこころとおもひ人に告げざる
・〈とか〉〈とか〉と並ぶレポート指し示しとかとか国のものがたりする
・表札を出すのがめんだうくさくなりマジックで記す折れ釘の文字
・少しづつ減らしゆくべき投薬の量を説きつつやさしきこゑよ
・日日ちがふ知人友人出入りして松も飾らぬ松の内なる

・人生の挿話のやうな日が暮れてひとら帰りしのちの静寂
・ぼろぼろになるまで人は働くと職を変はりてのちまたおもふ
・意に染まぬとはいへど今日在らばまづ生きよ 身の内のこゑに従ふ
・相槌は打つものそれをせぬゆゑにいつも打たれてゐるわたし――釘
・透かし絵のやうな春の日暮るるまで気付かず不燃物回収日

・こころより外れし箍がかげろふのもえたつ坂をころがりゆけり
・錠剤の呑めない子にてありしかば叩いてつぶす空のみづいろ
・薬品のにおひの抜けぬ一室に語る人生の句跨がりあり
・プライベートな手紙なれどもその文字はやはり白衣を着けてゐること
・熱のある体をさまよひ出でしのちこころはいづこへ行きしや今宵

・夏空色の包装紙など求め来て包み込みたしかのこころさへ
・かささぎはむかしの鳥と書くからにものがたりせよ秋の一夜を
・懸命にこころの不穏訴ふるかの日に咲きてゐたりしれんげ
・病棟のいづこを巡り来しや汝が白衣の背中秋陽がにほふ
・名も知らぬ黄の花を指して笑む青年のやうな人なんですね

・錠剤を掌にかぞふれば兆しくる死の芯のやうなものあたたかし
・残し置くものに未練はあらざれどうすきガラスのこの醤油差し
・錠剤の切れゆくままにわたくしの夢も解かれてさむき朝なる
・内側に棲まふ人とは会はねどもドアにはドアの表情があり
・こころにもポケットがあるそのことを教へてくれたる白衣 夏の日

・しかたなく靴は脱ぐあとは洋服のままくづほれて眠りてしまふ
・〈閏〉とはあたたかな語彙されどきさらぎに別離のふみ書きしこと
・冬休み中なれど日日鶸色(ひはいろ)の空にながれてけだるいチャイム
・都市は大きなクリスマスツリー 上空に誰か置く準銀のジョウロを
・なう、鳩よ この街の人はみななぜか語尾のするどき言葉を話す

・捨ておかれ砂に光るはとおき世のしほみつのたましほひるのたま
・この世からさまよひ出でていかぬやうラジオをつけてねむる夜がある
・意外にも全きかたちをしてをれば掌にもてあます豆腐一丁
・炉端がたりの婆さんたちの愚痴に似た音たてて嚙むイカスミ煎餅
・相聞も挽歌も味がうすき夜はむかし話の漬物を喰ふ

・マンションは棺桶などと思ひつつ寝てしまふ時計のベルが鳴るまで
・こはれもののやうなと言はれほんたうにこはれてしまふこころにあれば
・異界より落ちくるしづく……点滴を見つむる外は花散らす雨
・通院のほかはなさねば新しい春のコートも着ずに過ぎにき
・春あはき日暮れのようなかなしみに目ざめぬ薬剤の効果も切れて

・タンポポはいづこにぞ咲くゆめのなかに体温計を置き忘れたる
・冷風が遠くから来る病院の待合室は墓地に似て 夏
・窓外も体内も雨ずぶずぶのおもひにふかく陥りゆけば
・人間のふしぎのひとつ無意識に痛き部分へ手を当つること
・人生の端数のやうに雪は湧きまた消ゆるしんと都市の上空

・さびしさはみづがねいろの雲となりながれてゆきぬこの世のほかへ
・ゆふぐれはサボテンと化すこころかな夕陽にトゲが突き刺さりゐる
・明日にはもう踏み出したくなし泥にまみれた両の靴を脱ぐとき
・あの世にて母が洗濯機をまはす音きこゆるよひとりベランダに立てば
・くつしたの形てぶくろの形みな洗はれてなほ人間くさし

・割り算のあまりのやうな時間さへをしむこころのその果ての果て
・冠のごとかがやく夏の雲高しがんばることをやめたる朝に
・うつろへる刻もいつしか忘れたり点滴はいま夕陽のしづく
・これのみは最期の手紙(ふみ)に貼らむうるはしき切手を残しおく宵
・こころを雲のごとく保てと言ふ時の横顔はまだ青年のかほ

・人生の版画凹凸なる版画刷り出だすべからず詩歌には
・銀色のすすきの穂波かきわけてゆくゆめ 人を呼ぶこゑはする
・目を閉ぢて今宵はひとり聞きゐたりこの世の外(ほか)に鳴る風鈴を
・天界にこころを病める少女ゐてあさしほゆふしほ汲みにけらずや
・ハーモニカ売られてをりぬ痩身に過ぎゆく夏の雲を映して

・「――とさ」昔ばなしのをはりにはあたたかき息ひとつを置ける
・ここに来て両の腕(かひな)に持ちきれぬほどには持つな想ひも花も
・錠剤を見つむる日暮れ ひろごれる湖(うみ)よこの世にあらぬみづうみ
・人間はギコギコギコギコ働いてふと消えてゆく霧のむかうへ
・透明になりて次第に消えゆけりどこにも居場所のないかたつむり

・ひとの死の後片付けをした部屋にホチキスの針などが残らむ
・病中の想ひにあればひつそりとこころの内を人歩ましむ
・この時刻はいつも点滴してゐたとハナミヅキ咲く歩道におもふ
・療養のをはりとなりぬ店頭に新たまねぎの並ぶ季節が
・少しづつ買ひととのへる調味料ふたたび生きてゆくため 春を

一首鑑賞(9):永井陽子「梯子まっすぐ天まで掛けよ」

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どんな言葉も道具にすぎぬくやしさの梯子まっすぐ天まで掛けよ
永井陽子『葦牙(あしかび)』

初めに断っておくが、永井はクリスチャンではない。歌集を読んでいくと、親が木魚を所有していたような家柄に生まれたことが分かる。
首記の歌は、「どんな言葉も道具にすぎぬ/くやしさの梯子まっすぐ天まで掛けよ」と三句切れに取るか、それとも句切れなしと取るかで、若干意味が変わってこよう。三句切れの場合、どんな言葉も道具に過ぎない。だから悔しいことがあったら言葉の表面的なことに囚われずその気持ちをまっすぐ天に届けよう、といった意味になるだろう。句切れなしと読んだ場合、どんな言葉も所詮は道具に過ぎないという悔しさを天にまでぶつけよう、という風に解せるだろう。永井の言葉に対する鋭敏な感性からして、句切れなしと私は受け取った。永井が言葉に寄せる思いに並々ならぬものがあるのは、歌群のそこかしこから伝わってくる。けれど怜悧な彼女の思考は、自身を言葉へ埋没させることを頑なに拒んでいる。だからこそ「道具にすぎぬくやしさ」に居たたまれない気持ちになるのだ。そしてそれは、信じきっているわけではない天の存在へと突き上げる思いとなって溢れてくる。

地の底にどこへも行けぬ鬼がいてくやしまぎれに歌う賛美歌『葦牙』

「梯子(はしご)」と聞いて思い出されるのは、《ヤコブの梯子》である。創世記28章11~12節には、長子の祝福をだまし取ったヤコブが兄エサウから逃れるための道行きの途中、天まで届いた梯子を天使たちが上り下りしている夢を見たと記されている。

天への梯子さがしあぐねしをさな児にひと刷けの藍くれたり雲は『樟の木のうた』

永井は後年、第三歌集の『樟の木のうた』に上の歌を収めている。第一歌集では悔しさをぶつける対象であった天は、ここではやや趣を変えている。天への梯子を見つけられない幼子に、光が洩れ出づる筋道が見えるようにと雲が立ちこめてきたのだという。奇しくも、この歌を含んだ一連は「泣いた赤鬼」という題が付され、次のような一首もある。

男ゐて「泣いた赤鬼」のものがたりつづけてひすがら地は冷えてゆく

『葦牙』では意地を張って賛美歌を歌っていた鬼の虚勢は、影をひそめている。時間の経過と共に永井の心境の変化があったのかどうか、当て推量はよそう。しかし神様のサイドから見れば、確かに永井にも、また私達にも天の梯子は掛けられていたのではないだろうか。

忌日に。

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水切りを した嵯峨菊の 包み紙
ほうられていて 足裏(あうら)に触れる
(とど)

2012年9月19日 作歌、2015年3月下旬 改作。

バタンキュー!

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父の家 訪いて草取りした母が
夕餉を済ませ すぐ床に就く
(とど)

2010年10月5日 作歌、2015年6月7日 改作。

一首鑑賞(10):河野愛子「亡き後に恋しさおそふ」

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亡き後に恋しさおそふ人間のつみと臥しをり春吹雪せり
河野愛子『反花篇』

冒頭の歌は、下記の歌に一首おいて続くものである。

  父も弟も死顔をもて括りつつ墓苑はほのと春立つ梢

とすれば、亡くなった人というのは父親や弟と考えるの順当なところだ。身内の死後しばらくを経てから故人について色々思い出して遣る瀬ない心持ちになるのは、ある程度の年齢に達すれば避けようのないことなのかもしれない。
私は諍いの絶えない家庭にあって、父と反目しながら暮らしてきた。だから、父亡き後ふとした時に父に対する後悔の念が湧いてくるということは全くの想定外だった。くよくよと思い返すことの一つは、キャスター付きのパソコンデスクの組み立てが自分では上手くできず、群馬と山梨を行き来し忙しくしていた父に面倒をかけてしまったことである。もう一つは、私が持っていたVHSのビデオテープをDVDに変換したく、ブルーレイのレコーダーしか持ち合わせていない父を煩わせてしまったことである。しかもその時は、父は食道がんの治療中でかなり体力を消耗していた。だが、それらの面倒に対して私は父に十分感謝しただろうか…。首記の歌にある「人間のつみ」といったものは、私の場合はこういうことであった。

話を河野の歌に戻そう。上記の一首の後には次の歌が挟まれ、そして冒頭の歌へと連なる。

  わが言葉のするどきを責むる人の言葉もするどしや野に入日落ちつも

河野もまた父や弟との間で言い争いがあったのだろうか。お互いに裁き合って、とげとげしい思いを抱えて日は没した。結局、父や弟との関係は未修復のままに終わったようだ。このことについて私は一言を呈することはできない。ただ、この河野の悔いも、また父や弟自身の心も神様が受け止めてくださることを信じて祈るばかりだ。最後に聖句を引いておく。

しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。(詩編51編19節)

今年は書かないの?な~んて…

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アドヴェント記事見送った
吾を叱咤するかのように
ツリー出現!!(=゚ω゚)ノ
(とど)

紫陽花でしっとり。

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星の樹に 紫陽花なんて♥
そう言えば
もう少ししたら 七夕ですね☆彡
(とど)

一首鑑賞(11):木下龍也「神様にケンカ売ったら」

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神様にケンカ売ったらぼこぼこにされちまったぜまじありがとう
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

木下の歌集やネット上に発表された短歌を読むと「神」という語が散見されるし、実際聖書もかなり読み込んでいるようだ。だが木下の神様に対する姿勢は、ある時は神様に食ってかかり、またある時は神様に冷徹な眼差しを向けている一方で、別の時には神様の臨在や圧倒的な力に承服しているようでもある。

  神様は君を選んで殺さない君を選んで生かしもしない

歌集『つむじ風、ここにあります』の中の「天にいるだれかさん」という一連の初めには上の歌が置かれ、冒頭の歌をもって、この振れ幅の大きい一連は締め括られている。

旧約聖書のヨブ記10章18~20節に次のような言葉がある。
「なぜ、わたしを母の胎から引き出したのですか。わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに死んでしまえばよかったものを。 あたかも存在しなかったかのように母の胎から墓へと運ばれていればよかったのに。 わたしの人生など何ほどのこともないのです。わたしから離れ去り、立ち直らせてください。」
義人ヨブは神様を畏れ敬い暮らしていたが、突如として彼の子供や財産、健康が次々と奪われた。ヨブを見舞いに訪れた友人達はその姿に愕然としつつも、ヨブに非が無かったか問い詰めてしまい、ヨブも次第次第に神様に荒々しく訴えるような態度を見せ始める。ヨブと友人達の激しいやり取りが止むまで黙しておられた神様は、ついにこう口火を切る。
「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは。 男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。 」ここから神は、被造物をいかに創られそれらを統べ治めているかご自身について語る。その御言葉は四章にも及ぶ。
ついにヨブは白旗を掲げた。「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます。」(ヨブ記42章5~6節)
首記の歌を木下が詠む前、彼に何か起こったのか、それは分からない。ただ、神様に食ってかかった時、神様はそれに対して真摯に向き合われるのは私自身も経験した。それは、思わず「まじありがとう」と答えてしまいたくなるような誠実で力のこもった応答だったことは確かである。

ルピシア福袋☆今夏はバラエティ♬

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本日届きました~!
今年頼んだのは、5400円のリーフティーのバラエティ福袋(紅茶・緑茶・烏龍茶)。

一首鑑賞(12):水谷文子「評定の切なき仕事なし終へて」

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評定の切なき仕事なし終へて一学期果つる日の淋しけれ
水谷文子『齶田(あぎた)』

水谷は都立高校の教師をしていたという。「評定」は、生徒の成績つけだろう。相対評価なら、団子状に固まった点数の分布にある子供達を僅かな差で切り分けていく作業が必要になる。生徒達の将来を左右する評定を心を鬼にして為し終えた後の侘しさ…。
水谷は就職後に洗礼を受けたようだ。歌集中にもキリスト教がらみの歌がかなり見られ、一途な信仰の持ち主であることが伝わってくる。そんな水谷であるから、ヤコブの手紙3章1節の「わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています」という御言葉が、評定中の胸に去来することもあったろう。

  今日の我をゆるせぬわれは高速を失踪しつつあしたへ逃げる

この歌の場面の前に何があったか定かでないが、あるいは仕事で不用意に人を裁いてしまったのだろうか。水谷は高速を飛ばして小さな旅に出る。しかし果たして気持ちが晴れたかどうか。マタイによる福音書7章1節の「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる 」という聖句にあるように、私達は常に内面を問われているのだ。
人を評価することが務めとして課せられている教師という仕事に、誠実に取り組もうとしてもがく水谷のような存在に、私は少しホッとする。

ウチは私の代で途絶えるよ。

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厨より 望む空地の 蒲公英は
種子を遥かに 運ぶ羽もつ
(とど)

2012年4月19日 作歌。

*マタイによる福音書19章12節 参照
「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

まだたどたどしく。

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キッチンで 日記を綴る あかときに
ほそぼそ啼いている四十雀
(とど)

2012年4月27日 作歌。

それだけで気持ちが軽く。

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五度吐いたと 洩らせる吾に
「手を握ってあげたい」と汝がツイートがくる
(とど)

2012年2月25日 作歌。

不惑過ぎたら狭き門に。

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賞品は 一年先と こぼしたら
もっと上位を 目指せと君は
(とど)

2011年8月1日 作歌、2015年7月18日 改訂。

#sarutanka(じわじわ追加中)

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今年の折り返し地点まであと一ヶ月ほどになりました。ぼちぼち来年の干支がらみの短歌を作らなければと思いつつ、なかなか…です。
そこで、サル(猿、去る、申…etc.)に因んだ短歌作りに発破をかけるため、Twitterで二年以上かけてメモってきた#sarutankaを、備忘録として公開エントリーにします。


猿轡されたる熊が炎天下ぽつんぽつんと街道にをり/本多稜
限界の村の山畑守りつつ今日も確かに生きて猿追ふ/望月ふみ江
猿橋のたもとを染めるもみじ葉のひとひらふたひら欄干に落つ/飯島早苗
猿の害を網にて囲ふ里の畑白菜大根あをあを育つ/篠原俊子
穭田(ひつじだ)に座り込みたる猿の群れ穂を抜き食みて腹を充たせり/篠原俊子
腹すかし猫やら鵯やら来る庭に今日は一日離れ猿ゐる/河野裕子
玄関の林檎箱より林檎ひとつ持ちゆきし猿今朝はまだ来ず/河野裕子
離れ猿空を見上げて瞬(しばた)けり隠れなき老い赤き横顔/河野裕子
群れを率てをりし日のことこの猿は時どき思ふか屋根に芋食ふ/河野裕子
界隈の屋根から屋根を渡りゆく猿の腕(かひな)の意外に長し/河野裕子
どこでどう死んでゆくのか横向けば眼窩の窪みふかき猿はも/河野裕子
隣り家のさるすべりの紅(こう)散りこみて蔽ひゆきつつ吾が蝉塚を/苑翠子
人よりも山猿どものおほくすむ十津川郷へ尾のある人と/小黒世茂
風に吹かれそよげる猿に乞わむかも白毛が身をおおう安らぎ/佐伯裕子
ひとりではないのに独りひとりきり声あげて泣くこころの猿(ましら)/佐伯裕子
ケースには猿の脳みそ蜂の蠟かく存らえて人の生命(いのち)は/佐伯裕子
失せしものかぎりも知らず抽き出しに森閑と反るサルノコシカケ/佐伯裕子
ものを食む秋の哀しさ萌え出でしサルノコシカケにくち光らせて/佐伯裕子
猿沢の池のほとりで横座る遠い瞳(め)をした鹿に会ひにき/山科真白
捕はれて檻に戻れるボス猿は素知らぬふりに夕陽を仰ぐ/長田貞子
霧はれて乗合バスはぱふぱふと猿羽根峠を越えゆきにけり/田上起一郎
「苦が去る」と古布にてつくる猿ぼぼの細き梅の枝に九匹のせる/米山桂子
猿も子を殺すことあり恐ろしと言ひつつ殺すところを見しむ/竹山広
何をなし終りてそこに置かれたる電話の横のモンキースパナ/竹山広
ベートーベンに聴き入る猿を見せられしゆふべ出でて食ふ激辛カレー/竹山広
右の歯と左の歯にて均等に嚙むこと大事とは知り申す/竹山広
聖書など要り申さずと断れば音する傘をひらきて去れり/竹山広
力のみが支配する猿の世界にも見目よき男をみなごあらむ/竹山広
電灯の紐を仰臥の胸近くおろせば今日はすたすたと去る/竹山広
あな欲しと思ふすべてを置きて去るとき近づけり眠つてよいか/竹山広
あな醜(みにく)賢(さか)しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似る/大伴旅人
手長猿飼ふ兵あるをわが見しが時すぎぬればあやしともせず/田中克己
猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり/斎藤茂吉
月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾(ひれ)など欲(ほ)りしてをらむ/斎藤茂吉
あかき面安らかに垂れ稚(をさ)な猿死にてし居れば灯があたりたり/斎藤茂吉
猿の面(おも)いと赤くして殺されにけり両国ばしを渡り来て見つ/斎藤茂吉
猿の肉ひさげる家に灯がつきてわが寂しさは極まりにけり/斎藤茂吉
空ひろく晴れたる下(もと)の猿ヶ辻きみに日照雨を教えしあたり/永田紅
天使魚の瑠璃のしかばねさるにても彼奴(きやつ)より先に死んでたまるか/塚本邦雄
袴さばきのたとへばわれをしのぎつつあはれ猿芝居の次郎冠者/塚本邦雄
さるすべり一花ひらきて梅雨いまだ明けぬあしたを初蝉の声/香月昭子
猿も出る裏山道をおどおどと上りて合歓の真盛りに逢ふ/狩野花江
病室の窓より見ゆるゴンドラがお猿のお籠のように揺れおり/飯沼鮎子
高き檻の内外にゐて面白きカバ、テナガザル、恋ビト、コドモ/石川美南
猿の手を河童のミイラとして祀るさまざまな拉致ありし世の悲に/米川千嘉子
住むことを選んだ町に白い実と寒風、小猿、風船と汽車/東直子
ひとつ去りふたつ去りして苦の去るとましらここのつ細枝に遊ぶ/渡辺忠子
日盛りに職方ひとり登りいる工事場の屋根 白さるすべり/上野久雄
「猿だけは撃たれる時に目をつむる」駆除する人は深き眼に/岡本留音紗
この野郎! 揺れいる猿がしたたかに見上げていたりわれも淫らか/永田和宏
波勝崎その雌猿の石遊び時経てつひに〈文化〉となりぬ/古谷智子
口つけて谷の泉の水呑めば一寸猿似の私がうつる/喜多功
積乱雲に呼ばれたやうな感覚を残して夏の曲馬団去る/山田航
没りつ陽の黒きにみればロダン作る 考へる人、ましらのごとし/葛原妙子
薔薇色の西瓜の断片にちかづきてよはよはしかも蚊は鳴きて去る/葛原妙子
夏終るしらびそ樹林のさるをがせ緑おぼろに雨に震ひつ/河野愛子
子を連れた野猿が屋根に今朝も来て三輪車見る憧れの目で/若山巌
大和屋にあこがれ続け二十年猿曳き観しが最後となれり/伊東澄子
「死ぬからなあ」二度申さるる土屋先生とゐる時のはさまなり/河野愛子
つゆぞらをひたすら踏んで去る土足はなあぢさゐの夢さめやすし/永井陽子
花かげが冷えつく故郷等身のやさしいひつぎ天に置き去る/永井陽子
つゑつきて石の舗道をいづかたへ父は去るとも満天のほし/永井陽子
さるすべりのたわわな花枝のむかうには鉛の雲を抱く空が見ゆ/永井陽子
花をたづねて人来る頃ぞ亀石も笑ふ猿石も笑ふ明日香早春/永井陽子
旅に出たきことその季節を過ぎしこと冬の雨夜のさるすべりあり/永井陽子
猿どもはまばゆき初夏の陽を浴みてゐるぞひねもす仕事などせず/永井陽子
ぎゆんぎゆんと吹き溜められてゆく雲を見てゐる冬のおほさるすべり/永井陽子
来し方も行く末もなし老猿が目を閉ぢてゐる冬の日だまり/永井陽子
病棟を出づる時日日見上げてはなぐさめらるる大さるすべり/永井陽子
みのむしが秋のさくらに垂れさがりなうなうなうともの申すなり/永井陽子
今は動かぬ赤穂城内置時計申と酉との間指してゐる/永井陽子
こはいかに人参色のゆふぐれはひとがみなみな見ゆるぞ猿に/永井陽子
自転車のネヂひとつ締め紺碧の空へ投げやるモンキースパナ/永井陽子
桐の花咲く下におもへるとほつ国 いきいきと伝説の猿(ましら)棲む国/永井陽子
夢の中でマンバウと議論してゐたりむかしむかしの猿について/永井陽子
金色の毛髪の猿 あの夏の……もういちど孫悟空に逢ひたし/永井陽子
見ることのありて触れたることのなき虹、さるをがせ、白き耳たぶ/高野公彦
前を向きするどく立てる鹿の耳我が去るまでを動かずに立つ/風間博夫
血脈のように流れる夕闇の川に少年石投げて去る/里見佳保
ふるふると五徳の回る音のして遠野物語の幽霊や去る/有沢螢
歳月を何の力にせよと言うやかの人の言葉忘れさるべし/さいとうなおこ
花終るまでを堪へたる桔梗(きちかう)に晩涼の水きずつきて去る/塚本邦雄
ぽろぽろと電光表示の行き先の少し崩れた地下鉄が去る/鯨井可菜子
来なかったひとの名前をレジ横の 〈空席待ち〉に書き足して去る/鯨井可菜子
出口なし 小さき子らの群れ左側を抜き去る全速力で/中澤系
雪にぬれ一羽は影となりながら人気なき田を低くとび去る/桜木由香
青杉の太き股にもさるをがせ垂れをり神の復讐のごと/島崎榮一

疲れるよ…

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負える傷 洩らす信徒に 頷いて
重き心を 引きずり帰る
(とど)

2012年6月2日 作歌、2015年5月中旬 改訂。

『磔刑』より

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近藤芳美の歌集『磔刑』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・民衆の位置に立つ日に見ゆるものを知れば生きたりき祈りともいえ
・ヨブに臨む神の怒りのまさやかに読みてねむらむ老いのさまよい
・ヨブの叫びいつさえ人間の叫びとし古代も生きし地に生き縋る
・原稿を渡せば昼をこもり臥すまどろみに降る遠き過去の雨
・鍵の鈴鳴らして帰り来るを待つベッドにありし昼のまどろみ

・不整脈知れば怠り書き次ぐを書くべき責めに生きて残るごと
・愚者の平和というな生きゆく日の上に吾ら感傷の夏過ぎ重(かさ)ぬ
・一国の保守主義にして重く澱むありし平和は長きときと共
・見しものを祈りといわぬ今の平和八月六日日のくるめきに
・夏八月人の忘却の年々に森は老樹のみどり盛らむ

・四十年重ねて夏は来向かうを日が隔てゆくものを許しつつ
・四十年その日をば哀傷に呼ばむとし曠野に海のはてに死者の声
・かなしみのときの成熟に平和あれよ遠く四十年真夏日めぐる
・平和の訴え継ぎつつ君ら友もあらずありとし思え夏の広島
・軛ありき軛のもとの長き平和ついに一国を祖国とし来て

・この長き平安に足り馴るるときを吾ら隷属の日とはいわざりき
・選択肢その日にもありしと書かむこと過ぎてよしなき怒りとはいえ
・夏台風いくつ近付く雲の白さ一夜を鍵をとざし忘れて
・一権力を許しゆく日の平安も民衆のもの見たるときと共
・高窓のひかりは移る祭壇に花埋めて黒きひつぎのねむり

・生きはなやぎし人ゆえ柩に花はめぐる白き百合の数くれないの薔薇
・ことばあり死は新しき生という吾は生者のかなしみに来て
・ひとりまた君過ぎゆきてまじる祈り昼を乏しき堂のつどいに
・柩ひとつ小さく運ばれ塔高く鐘打ち鳴れる夏のくるめき
・マリア聖堂ひかり影なき日のさかり柩を長く待ちて帰らむ

・母のあらぬあとを毀ちて書庫を建つるひとりのことの何に急(せ)くべく
・新しき書庫あり籠りて紙ひろぐ地平のあかね窓に昏るるまま
・ほしいまま読む平安を得しといえど遠く二人の生(よ)をば生きたりき
・やすやすと過去を忘るるといえることばひとりの侵略の兵として老ゆ
・十二月八日誰さえいわず死地に急ぐ兵としありし冬の上海

・去らむもの去りゆき泣きてかかる電話妻と冬日のひと日昏れつつ
・このものらに関わらざれば吾が生(よ)あれ人の愛憎のなべて厭いて
・使徒パウロ磔刑のその人を見しというや冴えて眠り待つ霜夜のねむり
・磔刑のその人を見しもののいのち誰さえ一生負うことの上
・またひとりと逢うこともなき通院の日は似つつ過ぎ凍る夕月

・薬の包抱きて帰る坂の上にひかりは淡き夕月を恋う
・イザヤ書をわずか読むのみ重ねゆく日の寂しさの冬戻るべく
・セラピムの火もて焼かれしくちびるにことばはありし時の怒りなる
・神の怒り時の怒りとひとつなる古代のことば人は荒野に
・その日の怖れ今日のこととし書き継ぐをひとり幕舎に祈るものの老い

・筆おきてその日のことを今に知らむ吾ら戦後を悔恨とせず
・一語一語思いなずみて書くといえど見し日のことの或る夜のたかぶり
・過去として書くとはいうなたぎる如き思いは返り生きて誰もなく
・おのずから疲るるところにてペンを止めむ妻も部屋分けて何書き励む
・夜空の藍かぎりなく春雪はかげのごと吾に今充ちてバッハのオルガン

・吾がバッハのフーガの深く満ちゆく夜一生になおも知ることのあり
・書くことに或る夜ひとりに怖れしをこころの衰えと吾がいわざらむ
・自ら励まし書きて証しにことばありしことば徒労と今も思うな
・一国の隷属として筆を措く哀傷はなべて見しときの上
・追認し追認しゆく事実の上八月敗戦の夏繰り返す

・思わねば怠りとして過ぎゆくをこの日に署名を呼ぶ電話あり
・意思表示今日にうながし来るものを逃れてならずねむり暑くして
・言い続けむことありくるめく日の下の広島の夏年々めぐる
・哀傷を思想と呼ぶな夏八月空にひとつの鐘打ちつたう
・何一つなかりしというや死者らの夏地上に終末の武器は武器を生む

・人間が人間であることの絶望を昨日に見たり過ぎしというな
・わずかずつ人間に知りてゆくものを信ずこの日に寂寥の水のごとくに
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