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Channel: 水の門
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やれやれ…

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ペンションの 語を削っては また入れて
サイトオーナーの 指針決まらず
(とど)

2010年3月9日 作歌。

以前はビクついてたけど。

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虹のパンの
サイト作った 吾(あ)に同期するCMを
一笑に付す
(とど)

2010年4月29日作歌、2013年8月13日改作。

うーん…(e_e)

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すかすかの 林檎のようだ
文脈に 沿わぬ絵文字の 跳ねるメールは
(とど)

2012年9月4日 作歌、2015年1月上旬 改作。

箸にも棒にも…か。

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映画観に ついと出歩いて みたくなる
発表あとの ブルームーンに
(とど)

2012年9月5日 作歌、2014年12月下旬。

こんなに長居するとは…

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作業所で お祝いされる 誕生会
回重ねるとは よもや思わず
(とど)

2010年3月8日 作歌。

強面だが優しい人。

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片手上げ ケースワーカーに 応え居る
デイケア・メンバー 一回り痩せて
(とど)

2010年6月9日 作歌、2015年3月30日 改訂。

風呂場でパタパタ。

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お湯を張る 夜更け窓より 冷えくるに
足踏み生ず 静坐不能症(アカシジア)なる
(とど)

2012年12月8日 作歌、2015年2月上旬 改訂。

日課だから。

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半身を 露わに為せる ドレナージに
身震いをする 名ばかりの春
(とど)

2012年3月17日 作歌。

『掌詩~てのひらの詩』より

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故・高岡伸作牧師の『掌詩~てのひらの詩』(五行歌に近い詩形を集めた詩集)を読了。目に留まった詩を引いておきます。


 バッハにも
 哀しみがあったと
 ある夜
 眠れなく
 なってしまった

   ルターの眼が
   蝉に似ている
   と思ったら
   ほんとに
   鳴きだした

 アウグスチヌスの
 大耳に
 びっくりした
 以前は
 あんなじゃなかった

   『狂った一頁』
   という説教を
   聞いてから
   ずっとその頁を
   探している

 クリスマス
 高い空からの
 歌声は
 客間じゃ
 聴こえないって

   葬式も 墓も
   僕は要らない
   追悼文も要らない
   ただ土に
   還してくれればいい

 「見よ わたしは
 たなごころに
 あなたを掘り刻んだ」 *イザヤ書49:16
 たなごころ てのひら
 傷痕のある掌

   冬木を垂直に
   かけ登り
   かけ降り
   降誕の告知で
   天使は大忙しだ

 『愛』はもともと
 「ひそやかな歩み」を
 表す字で
 あったという
 その姿 好もし

   巨人ゴリアテは
   地響きを立てて
   倒れた
   日曜学校の
   薄暗い教室で

 牧師さんが
 変な節回しで
 祝祷(しゅくとう)を唱えると
 ホッとした
 礼拝終り!

   病院の待合室で
   患者の時間が
   どんどん
   減って行くのを
   見ていた

 「わが魂は
 乳離れした
 嬰児のように」 *詩篇131篇
 ヴィオラの
 囁きのように

   「来れ死よ
   眠りの兄弟よ」
   痛風病みの
   カンタータ  *(BWV56)
   の一節

 「わが目は はや
 救いを見たり」  *ルカ福音書2:30
 黄落(こうらく)の地に聴く
 老シメオンの
 歓びの歌

   水面(みなも)に映った
   大聖堂
    北風の
    ひと吹きで
   粉々に

 「愛しむ」
 と書いて
 「かなしむ」
 と読むことの
 かなしき

   夜更けの窓には
   いつもどこかに
   クリスマスの
   気配がある
    遥かな呼び声

 古びた
 リードオルガンの
 破れた風袋で
 小さな風が
 遊んでいた

   忘れることも
   恵みなのだ
   とすれば
   この身には
   溢れる恵み

 半生の間
 馴染んだ聖書の
 傷みいとおしく
 1999年
 待降節

   聖誕劇の
   終ったあと
   隅暗がりに
   飼葉桶(かいばおけ)
   ひっそりと

 ラ・トゥールの
 沈黙の深みに
 灯る蝋燭
 受肉の秘儀は
 秘儀のまま
    *ラ・トゥール=画家(1652没)

   枯枝に
   雨の雫が
   鈴なりの
   降誕節
   の朝

 受難週
 この痩せた足も
 拭われたのだ
 僕は誰かの足を
 洗っただろうか?

   「トキニハ
   カキハニ
   ミサカエアレ」*旧讃美歌568番
   礼拝堂に響いた
   厳かな呪文

 二百八十四年前の
 教会カンタータ
 にある言葉
 「力ある者は
 分別を失い易く」*バッハBWV147

   パリサイの徒に
   囲まれて
   あの方が地面に
   書かれたのは
   何であったのか 
      (ヨハネ福音書8:1以下)

 急いで答えを
 用意するな
 それよりも
 問いを持つこと
 持ちつづけること

   あの丘の
   天文台への道
   星空のMagnificat(マグニフィカート)
   地を這う
   通奏低音

 言葉とならない
 祈りには
 覚えず洩らした
 ため息のような
 温もりがある

   言葉にすると
   失われるものがある
   言葉と言葉の間に
   生まれるものがある
     この不思議

 声にならなくても
 歌は歌える
  雪の晴れ間を
  歌いだす
  木のように

   夜ごと 星の光に
   洗われて
   この小屋にも
   クリスマスが
   やって来る

 蝋燭一本立てて
 カロルを歌った
 親子三人の
 小さな小さな
 クリスマスだった
       (宮城県登米町)

   人は老いるにつれ
   忘れられてゆく
   そこに生じるのは
   余白か
   それとも空白か

 息苦しくて
 歩けなくなった
 足元に
 ナズナ花咲く
 今日は復活祭

   「死ぬ時節には
   死ぬがよく候」 *良寛
   その時節は
   誰も知らない
   いい事だ

 四角い梅雨空を
 眺め暮らした
 病院の窓
 ノアさんの気持ちが
 少し分かった

   神学校の
   古いオルガンで
   バッハの小フーガを
   君は弾いていた
   夕明りの窓
          (S兄)

 先に逝った者と
 過ごすことが
 多くなった
 急がなくていい
 温もりのひと刻(とき)

   一人でいると
   ふと傍に
   来てくれている
   彼ら逝きし者の
   穏やかな友情

 己(おの)が古傷を
 そっと温めていると
 他に与えた
 傷の記憶も
 疼きはじめる

かき消されて。

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豪雨にて
爪弾く音しか 聴こえない フラメンコギター
今宵は冷える
(とど)

2010年5月26日 作歌。

ウリの喉ごしがネックで。

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食道の 細る父にと 蒸しプリン
買っても喉の 入り口に溜まる
(とど)

2011年7月3日、2015年4月9日 改作。

どんどんやわやわに…

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蒸しプリン 喉につかえて
焼きプリン、プッチンプリンと 父の替えゆく
(とど)

2011年7月9日 作歌、2015年4月11日 改訂。

どういう訳か。

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蜜蜂が 桃の花より 蜜採るに
花びらのなき 蘂(しべ)には寄らず
(とど)

2010年4月9日 作歌。

底辺にいる。

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「五百円で 売る」と万智の詠む 青春を
羨むわれは 時給百円
(とど)

2010年3月7日 作歌。

シンクロニシティにもびびらず。

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ネットショップ 仮開設の 翌日に
Yahooよりかの 広告が入る
(とど)

2011年4月20日 作歌。

一首鑑賞(8):さいとうなおこ「教会より届く手紙の」

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少女の日に通いし丘の教会より届く手紙の文字変りたり
さいとうなおこ『キンポウゲ通信』

 この歌を読んだ瞬間「あっ」と思った。教会にかつて通い、今は諸事情で遠ざかっている人にも、たまに教会から送られてくる郵便物は、何らかの印象を残していることが分かったからである。
 2014年度初頭の教会の年度主題研修会で、教会入り口付近の掲示などを充実させ、通りすがりの方にチラシ類もお持ちいただけるよう整備しようという案が出た。それを受けて独自の『N教会だより』の発行について思案していたが、少し前に図書館で借りた某短歌入門書を読んでピンと閃いた。信仰などにまつわる短歌の一首鑑賞を書いて、『教会だより』に載せようと思ったのだ。そうなると、次々アイディアが湧いてきた。A4の紙を半分に折り、表紙には聖句とそれにマッチした扉絵を、裏に返すと教会の三ヶ月間の主立った予定を掲載してはどうか、中身は【牧師からのメッセージ】、【一首鑑賞】、それに【私の好きな聖句】を載せてはどうだろう……。
 実は【私の好きな聖句】は私のオリジナルの発案ではない。私は高校時代あるキリスト教主義学校に通い新聞部に所属していた。そこで発行していた学校新聞に、各号違う教師にお好きな聖句をインタヴューして書く小さなコーナーがあったのだ。実はその学校で教鞭を振るわれていた先生には、N教会で信仰を育まれた方もいる。教会の120周年記念誌にその先生からの寄稿があったことには心底驚いた。あるとき先生の授業中、私は通信の受験講座の勉強の「内職」をしていたことが見つかり、先生とその教材の奪い合いになったことがあった。結局先生は力づくで奪取し、後で職員室に来るようにと申し渡された。仕方なく職員室に行くと、先生は軽く注意をなさっただけで、教材を返して下さった。
 この『教会だより』は、その先生に今も送り届けられているはずである。高校受験に失敗してあの学校に行っていなければ、キリスト教主義大学の指定校推薦を取ることもなかったろうし、後に洗礼を受けることもなかったであろう。そしてとある病気を患って山梨に移り住むようになっても、N教会に通うことにはなっていなかったに違いない。
 冒頭の歌の「手紙の文字」は、週報や教会だよりを送る封筒の宛先などの筆跡だろうか、あるいは封入された一筆だろうか。『N教会だより』も新しい号ができ上がると、次の委員会で最近の新来会者の方々に送ることにしている。宛名は委員が手分けして手書きする。さいとうのようにその方々にも、何か心に届くものがあることを願いつつ。
 

春日。

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思うこと 燻ったまま 臥す床を
照らす日脚の 長く留まる
(とど)

2010年3月26日 作歌、2015年3月上旬 改訂。

心尽くしの。

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見舞い言 添えた菫の 絵手紙を
表に返せば 切手もすみれ
(とど)

2010年3月28日 作歌、2015年3月上旬 改作。

重力には逆らえず。

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替えの写真 並べたじろぐ
更新の 前の眦(まなじり) つり上がりいて
(とど)

2015年2月14日 作歌。

見知らぬ生徒。

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足音に 顔を上げると 「こんにちは」
屈託の無い 笑みに和らぐ
(とど)

2010年6月1日 作歌。
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