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『遠く夏めぐりて』より

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近藤芳美の歌集『遠く夏めぐりて』を読了。目に留った歌を引いておきます。


・街々にともる十字架風冴えてひとときの緋に昏るる雲みな
・クリスマス停戦を待つ日とつたう何に荒廃の一つときのはて
・なおここも歓びの町けむり合う葡萄の谷の薔薇色のとき
・たれもたれも面映えて佇つひかりの中黄金の塔の鐘鳴りこもる
・恍惚と宣教の歌声合わす広場も噴泉もすでに冬の夜

・神の怒り喚(よ)ぶいくたりか見て過ぎむ一日(ひとひ)くもりに街はそばだつ
・つねに夢は銃あらぬ兵凍る野を敵地に何を追いさまようぞ
・背に足らぬ軍袴のままに待ちしねむり一生(ひとよ)凍れる夜によみがえる
・「その人を知らず」と否む声のかぎり逃れのがれむ遠き夜の明け
・朝と知らぬ礫土の行方否みつつ走らむ夢は声となるまで

・生きて四囲にあかしてならぬことありと叫びはつづく吾が夢の際(きわ)
・カテドラル暗き広場も雪ふぶき宿を求めて街迷いつつ
・カテドラル深くとざして雪の町に朝立つ市や黄の野菜売る
・応召をわずかに待つ間の愛情を一生(ひとよ)見詰めて人の白髪
・真実を言えというならたぎつ思い炎夏の砂にひそむごとき夜を

・ことばあかさばたちまち脆き平安をあやうし人ひとりのため守り来つ
・傷なめて暁のかた歩むべし吾は包囲をのがれ来し獣
・思想の位置あかせと遠き声ひとつ眠らむ深きねむり求めて
・おどおどと看護婦のことば聞きたがう父を置き去る配膳の昼
・炎なす草野よ行く兵ら佝僂(くる)のごと呼びつつみずからの声に覚めつつ

・草の地平崩れてつづく望楼の陽のまぼろしに哨兵を見ず
・戦場に眼鏡うしなう記憶ひとつ寂しさは今の目覚めにつづく
・その歴史を許し来りし青春と何に今いうや翩々(へんぺん)と言え
・洞窟に白骨を掘る一画面照る陽も紺青の海も吾が知る
・いずくにても生きていよ傲岸のたましいの崩るるときに何を選ぶか

・首飾糸切れ散るを集めつつ子のなきうなじ吾と長き日
・一片の赤紙を待ち遠く連れし山のたぎちか雨か聞えて
・哀しませぬことを愛情と生き来しを永久の彼の日の一兵士吾
・心屈せし日々に求めしバッハなど過ぎて忘れて聞くこともなく
・夜をひとり軍靴を踏みて行く吾のまぼろしは呼べ風の喚ぶ声

・船艙に銃をいだき寝る兵のごと一生(ひとよ)砲声を風に聞くごと
・体温を求むるねむり船艙の兵なりにしをみな死者の夢
・いのりなす影の寂しさは地に群れて面を伏せ去れ異教徒の吾
・今しばし戦争の焦燥は吾ならずねむらむ贖罪のさけびはるかに
・追われ追われ街に夜の明けにやむ声を知りつつ吾らに今日の十字架

・信教の愚かに流血を呼ぶときを飢餓をつたえて国はるかなる
・おのが掌に秘めて小さき刃握るごと今のとき過ぎよあけのめざめに
・屈辱は刃のごと冴えよ生きて吾にひとりと知らむ老い至るとき
・声あげて眠剤を求むる夜のあけをかたえにさとし妻の目覚めて
・眠剤をのみたるねむり待たむ間を衰え生くる蚊のまとい飛ぶ

・言えば弱き弁疏(べんそ)とならむ一生(ひとよ)吾が仮面のごとくまとい来しものを
・つねに拙き兵にして戦場に生きたりき今を知らゆな涙湧くまでに
・旗焼きて迎うる一国のしずけさを深夜につたう何の憎しみか
・その問いをひそかに一生(ひとよ)のがるるとも逃れ得ぬものに心はたぎつ
・生くるかぎり兵たりし過去死者の過去負う亡霊と人はまた言え

・「恥」として生きむ思いはあかすなき銃架のねむり一生(ひとよ)地は凍つ
・蒼々と霧の這う夜をのがれゆく寂しき兵衣つね覚むる夢に
・一片の令状が来る夜の明けを妻と知るゆえしぐれはめぐる
・帰投せぬ編隊を待つあかときの映像ひとつ過ぐるたまゆら
・しらじらと敵地爆撃の空の俯瞰一生(ひとよ)まなうらに吾が眠るべく

・記憶の町みな夕映えにうなじ垂れて吾ら罪業を負うものの歩み
・隊列の歩みは聞ゆ一生(ひとよ)吾に逃れてならぬ凍土の隊列
・まれにしてフォーレの曲を聞くことの時を怖れむ思い這うごと
・前線を追う病兵と佇てる埠頭はるか冬夜を来(きた)るまぼろしに

『アカンサス月光』より

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近藤芳美の歌集『アカンサス月光』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・革命がみずからの歴史を歩む日を地に暗くして十字架の数
・生くる四囲なべてを絶てるきりぎしのごとき夜をあり人は叫ばず
・ただ声に喚ばわば覚めむ戦場の夢に雪野をのがれ走れる
・跫音あり脆く崩れむ生くる位置明けのめざめに一生(ひとよ)吾が聞く
・冬を生き夜の明けに来る蚊の翅音軍病院に遠く病むごと

・野をつらなり病兵として行く歩み記憶はつねに草のくるめきに
・乗船命令受領に通う兵ひとり生きてはるかなり生と死とみな
・ナパーム弾月明にして燃ゆるまの映像ひとつ過ぎて忘れむ
・四十雀呼ぶ脂身を枝に吊る妻の声あり吾が生(よ)にまとう
・エレミヤ記読む夜の眠りたちまちにひとり戦後を生き残ること

・神のことば吾に臨むと読む怒りつねに平安に足る日の上に
・おのれ一生(ひとよ)かくしおおせしと思うまで覚むるあかとき何を怖れては
・彼らの眼逃れある間と思うまで寂しきねむり凍る夜に来よ
・ある蜂起おろかに過ぎてつたうる死ねむりにまとうものも言わざらむ
・刑を怖れひとりの少年の遂げし溢死何にかそかなる平安の日を

・かく惨めに裂かれ裂かれし魂を読めり革命と言える幻影
・牢獄の予言者に問う神のいかり時を怖るる王の遠き世
・陽をはるか廃墟を歩みつづくものまぼろしと負え一生(ひとよ)吾が影と
・わずか生き得しと思うたかぶりに夜を覚めてみな過去となる霧の舟艇群
・たれも死して還り来らねば老いの夢上陸舟艇の霧の一つ灯

・知るゆえに人より真実を指せるのみ世を経しなみだあかときに湧け
・心許してならぬと知れる酔いの夜を街の記憶の雪のごとき霜
・かく知られず或る日仕事を吾が去らむ生くる逡巡はつねひとりのみ
・机片付け去るべき或る日侘しとはいうなおのずから声笑うまで
・この平和を信ぜざるゆえかく言うと叫ぶ愚かに夢のきれぎれ

・飢餓の上に築かるるもの国一つ崩れ去る日に偶像は成る
・幾重にも重なりよみがえる幻影に血を踏み顔なき軍列歩む
・たちまちに死者らと過ぎし歴史ならず眠りのきわに聞くものも秘む
・クーデター逃れて走るかげひとつそのまぼろしと吾と声喚(よ)ぶ
・今も吾に凍土につづく労働の襤褸の列よ逃れてはならず

・病床よりひとり逢いに来し磯の営舎原隊追求の日の吾のため
・岸の兵営朽ちて残りて冬の黄菊妻のみ吾がためにつき歩みつつ
・生き合うと何に今言う憎悪の町幼児殺戮は声と過ぎつつ
・地の上に愚かに満ちて神を喚(よ)べつねに亡びのときの如く今
・恐怖のごと一生(ひとよ)をいだくものを告げず死地を還り来ぬ遠く汝がため

・苦しみて書く夜をも知るかたわらに目守(まも)りてついに独りなるもの
・吾らに来る長靴の軍列の音ならず遠く野を染むる火事過ぎて寝む
・教え交りついに告げざらむことひとつ酔いて聞ゆる街の雪もやむ
・遠く負う戦場離脱の兵の記憶血を吐き逃れ来ぬ今日に生くるため
・扉押し扉押しつつ部屋つづく目覚めの叫び老いの今にして

・極光の下を徒刑の列行くと読めりその今を怖れむねむり
・また一人死して葬りの終る街相逢う吾ら誘うこともなく
・夜の明けに起き出でてミルク飲む妻の還り来て遠くともに病むごと
・夜ごと吾が戦場よりの歌を映す病み待つ妻が秘めし手帳なる
・女ゆえに戦場の死の報を待ちし遠くみな過ぎて妻の言わぬこと

・ついに一人を裏切らざりしは愛情かあわれみか戦争の死を生きて来ぬ
・死の偶然生の偶然逃れ生きし兵ゆえ怖れて妻と生きしゆえ
・肩の雑嚢歩み歩みてゆく埠頭兵ひとりなき沖の未明を
・かの河口の兵站基地の水のひかりつねに行き急ぎ兵ら亡霊
・ひとりだに還らざりしを秘むる記憶はるかとなればみな名忘れて

・うずくまる佝僂(くる)の兵らの死者の彼方つねに地平の火は空焦がす
・必ずここに君は導きし死灰(しかい)の塚花降りひかり樟は茂り合う
・静かなる死とし告げ来る遠き電話離れ世にあれば問うこともなく
・死の際に魂冴えて枕べのコップのビール君残すとぞ
・獄死せる遠きひとりのための集いまれにみな逢えば老い残るごと

・最後の組織守りて獄死せしとのみ伝えてはるか面影忘る
・夜の町の屋台より捕われしままの死を記憶しみな言い出ずる心疼くまで

『樹々のしぐれ』より

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近藤芳美の歌集『樹々のしぐれ』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・島のいただきの修道院の屋に出づ吾ら没り陽のときを見むとして
・鐘はつたう僧舎のいらかの重なりに海に澄みわたる夕映えは黄に
・聖ヨハネの啓示の洞窟の蠟の灯に岩をつたえり島の昏るる道
・聖母の灯をなお残す山の冷えに陽は昇らねば岩に吾ら待つ
・十字切り驢馬に過ぎ行く女らの崖をつたいて谷はいまだ夜

・国越えて抱き逃るる夢見しと何に吾が告げむはるかなる夢
・国境を奔り逃れむまれの夢寂しき戦争の夢なれば覚む
・生きたりしなべては戦争にまつわるを妻よ言わざることば分け合う
・速記とるひとりたかぶりに声はさむ八月敗戦の兵たりし日を
・逃るるなき死ゆえに吾ら征きにしをひとりの名ありその日より今日

・知識奴隷市に数えて街は栄ゆ彼ら疑わぬ時を平和を
・正教寺院とざす広場を連るる歩みしぶき降り過ぐる雨のひかりに
・サン・ピエトロ冬のひかりの明るさに朝は闌(た)く銀の降るごとくして
・朝の人なきシスティナ聖堂を連れたまう夫を去り子を去り君に生くる街
・「最後の審判」あくなき人間の業の凝視君とあり朝のひかり移るま

・影につらなる街は覚めざれば聖母寺の円蓋暗きはるか暁光
・昏れむとして堂をめぐるま聞え来る久しき祈禱歌の地下のいずかた
・老いのはてに残すピエタも見てめぐる円蓋は昏れ燭のゆらぎに
・聖クローチェ寺院足場を組みて暗き下妻と肩を抱くいしだたみの灯に
・或る路地は聖具の店の窓のともりここも遠く知る吾のフィレンツェ

・聖龕(せいがん)のひとつしるべに道迷う霧湧きつねに佇つ影は似て
・聖龕(せいがん)のともれる暗き壁つたう迷えば霧淡き街行方なく
・「未来」と呼ぶひかりのごとき祈りあり魂に抱け人の寂しさに
・風船売り学びしと聞く君かたれか眩しみし青春の過ぐるときのま
・戦争を時を逃れむとせし日さえひとりならざりき秘めて呼ぶ名に

・病むを残しひとりの戦場に征きたりき胸に襟合せかく眠るへを
・一夜冴ゆる寂しさはさとく妻の知るまれに病むへのきれぎれの夢
・安定剤飲みたる眠り浅く過ぎ病むへに惑いの一夜おろかなる
・ラーゲリの雪にとざされて研ぎ研ぎし絶望は見よ「国家」の愚かに
・極北の雪野を知らず囚わるるはて人間はたましいの家畜

・宗教裁判遠く憎悪に狂う世界悲しみ生くるものは法衣着て
・敗戦を待ちて読みつげるその夜毎ひとりなりしを「戦争と平和」
・信仰告白長きためらいに佇つかげを夢に見ていきみずからの影
・偽証者のひとり吾がうちに喚(よ)びさけぶ一生(ひとよ)の思いつねに目覚めに
・刑務所に入ると別れのために来ぬ今日素直なる若者として

・体賭けて知る報復は差別ゆえ刑期を短く告げて帰りし
・懸命に朝鮮人として生くる日を見てゆく蹉跌のたちまちのまを
・酔いてかかりし電話に人の死をつたうその手に絶てる獄の中の死
・冤罪と呼ぶためあまりひそかなりし死のひとつ過ぎ人は帰らざる
・拘置所の門を出ずると伝う死を思い眠らむ君もまた亡く

・被差別者ゆえに裁かるる歳月を吾らは知らずその叫喚を
・たわやすき「処刑」のひとつ知るねむりいずくか砂漠の空港にして
・テロリストの前に跪く一つの死過ぎて忘れむ遠き世界は
・孤絶の死法悦の死のさまざまに知りて過ぎゆけ彼らの「革命」
・宗教者のみが声なす沈黙を国はつたえて冬なおめぐる

・獄深く衰うとのみわずか聞く再び詩はなし詩は刃ゆえ
・恐怖政治のもと救わるる日とも読むその一国に詩を許す意味
・ひとつのみを吾がいうと言え焦土の夜の雨を聞くごと一生(ひとよ)の幻影
・吾らみな賤民の裔怒りなき哀傷の詩を四囲にする日に
・大河のごと今日にみなぎりゆくものをいのりに思え年明けわたる

・床に括る本に昏れつつ這う冷えに寂しさは生きてひとりあるごと
・今日のごと本を積み戦場に発ちたりき死を見ていしや若く妻もまた
・死地にむかう日の離別にも二人連る知る平安のかぎりなかりし
・隊列を追いて呼び呼ぶ愛情のかなしみひとつ妻に目守(まも)るもの
・生くる筈なき戦場を妻に生きしはるかに戦(おのの)きは追うかげのごと

・かかる時代に生きむと告ぐる電報を秘めて征きたりき妻はその日病む
・一枚の電報にして汗に汚る秘めて征き征きし生きよと呼べば
・おそいかかるなべてを受けむと呼びて来し銃抱く夜ごとの凍る舟艇
・黴びて出ずる図囊も兵の日のものぞ妻は秘めて置く侘しきものを
・戦場にして肌にせし電報も今覚えなし読みて涙せど

・人の陋劣めぐりめぐれる牢獄の眠りの思い心冴ゆれば
・ひと夜吾ら老いて相逢うみなたれも経し生涯を告げて静かにて
・互いに立ち知る戦争の死をつたうたどる面影のはるかわかちなく
・宣撫班に加わりひとりは早く死す知り合う求めて行ける遠き死
・生きて残らぬもののため言う戦争をその武器のこと読み眠るべく

・口紅を拭きて手術を待つ椅子にあずくるものを妻よ長く分く
・手術のとき移りて窓遠き夕かげに妻の脱ぎゆけるものを吾が抱く
・病めば病むやさしさにして呼ぶことばはるかに戦場に吾が征かむ夜も
・病み隔てて生きて耐えむと告げて来ぬその電報を戦場に秘む
・還ることを疑わざれば生きて還る病みて待つ目の静かなりしか

・戸を叩く声を未明に待つねむり老いのまぼろしは妻に告げねば
・前哨の夜の明けのごと来る怯え目覚めにひとりのことと吾が言え
・しばしばも明けを降り変る雨を聞くねむりにひかりは青き絨毯
・腕吊れる妻に夕餉のパンを割く灯の下白きものは冷えつつ
・十二月八日今日とし思う一生(ひとよ)埠頭の氷雨に戦場を追う兵として

・なべて過ぎしというな今知るわななきに死を追い急ぐともにみな兵

『聖夜の列』より

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近藤芳美の歌集『聖夜の列』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・明けに知る雪の徒刑の列の夢さびしきものを老いの夢として
・法悦のごとき憎悪のめぐるいつも「知性」と言えりあくなきいけにえ
・読むのみに在る世界ゆえ平安を侵すものなし老い知れば寝む
・神知らねば神を祈らずダモクレスの剣の下なる吾らある平和
・国家権力新たに凶暴をかくさぬ日街に迷彩の兵のたたずみ

・学生暴動ひろがる町々とはるか知るをひとりに胸疼く郷愁とする
・権力を詩の嘲笑となせるのみ覇者の恐怖はつねに詩の上
・怖るるものなくば歴史を今怖れよひとりの予言者を獄に置く日を
・世に対うに愚直と思う或るときの教室のたかぶりも齢隔て合う
・裁かるるため面あぐる暗殺者うつされまぎれぬ残像ひとつ

・聖堂あり復活祭の灯を置くを岸ひたひたと運河に沈む
・サン・ジョルジュ寺院なお夕映えの塔の沖月の上れば帰る船を待つ
・今日はるか日本の十三夜サン・マルコ広場さやかに沖の月となるころ
・皇帝も皇后も遠く清らなるキリスト憧憬を黄金(こがね)は包む
・堂は暗き黄金(こがね)の色にテオドラも聖女のひとみ遠き世にして

・藍のモザイクおのずからなす蒼穹に天使も鳩もひとつのまなざし
・西欧の暗鬱をいまだ知らざる日の信仰にしてここは眠る街
・初期キリスト教栄えて過ぎし街ありしひと日来て去らむ春夕かげに
・靴音のこだまはつたう路地の壁たどりて寺院の広場月小さく
・聖クローチェ寺院暗くそばだち妻と連るる踏む月光に吾ら影もなく

・ここの街を迷いて仔羊の毛皮購いき妻よ聖龕(せいがん)のともるいずかた
・ダヴィデ像月光蒼き広場をば埋めて若者の男女ともなく
・復活祭迎うよろこびの街々の今日フィレンツェの朝の花の市
・老いの日の「ピエタ」も妻と知るゆえに恋いてドゥオモの朝の冷えに来る
・フラ・アンジェリコたずねてめぐる僧房の廊の朝かげに日ははや乾く

・「受胎告知」見て終えいずくにまた行かむ静かに分かつものをかたみに
・この素朴なるものを聖母とし天使とし人はさきわいき遠きフィレンツェ
・復活祭待ちてひそけき春夕日アッシジの町々に鐘澄みつたう
・ウンブリアの野の夕かげのさながらのくれないのとき古きアッシジも
・聖フランチェスコ聖堂の明るき野の没り日吾ら来りて共に声に呼ぶ

・夕昏れなればめぐる聖堂の人乏し燭置きて祭壇に祈りはつづく
・ジョットを知りて恋い来ぬ奇蹟への素朴なるよろこびはジョット以前
・初期の壁画に聖者はなべて銅の色その袖廊の冷えて昏れなずむ
・後れ歩みて妻と佇む「小鳥たちへの説法」の下堂に灯ともさず
・聖ピエトロ寺院出でていずへに吾ら向かう早き夕日の街となるころを

・ユダの木の紫紅の花咲き人のあゆみひと日の街に夕日満つるとき
・ユダの木と呼ぶ街路樹の咲きさかり春深きローマに旅終えむ日や
・昏るるまをモーセの像を見て戻る灯ともるローマも三たび旅に来て
・復活祭迎う春にしてこの国のときなき嵐夜ごと夜ごとに
・復活のよろこびを待ち夜半につづくいのりの中に妻は吾に添う

・異教徒と異邦者として行き交じる復活祭の街の夜を深く
・十字架をかかげてめぐる黄金のひかりのゆらぎ彼ら神を見て
・蠟燭の炎分け合い影ゆらぐ復活のとき妻に人やさし
・復活祭なれば街とざすあしたより雨のまた過ぐるアテネも寂し
・妻と戻り睡眠剤を分けてねむる夜の明けわずか父の死までを

・リンゲルの針をみずから抜き外す死のきわにして未明吾らなく
・死にすがり泣くものは泣きなおひそけき朝明けのとき吾ら世と隔つ
・病院より運び連れ帰る父のため欅の杖一つたれか言い出でて
・かく小さき母ひとり芝の上に坐らしめ吾ら寄りつどう父の埋骨
・ゆえ知らぬ嗚咽は過ぎてすがしきを帰りねむらむ父のあらぬ部屋

・夜の明けに枕べに聞く電話より冴えゆく寂しさは父の死ののち
・巡礼にて門に立てるを父と知る夢なりし夢に声あげて泣く
・父の骨の一片を吾が秘めて仕舞う神なく来世なく生は一片
・面影に杖にすがりて庭歩む父ありしだるる萩の夕かげ
・父のあとを離れに独り住む母の庭来て父の夢うったうる

・異国の町の施療院にて世を終うとひと日血縁のこと伝え来る
・海隔てて逢うなき肉親のひとりの死聞ける電話に母も老い果つる
・逢うを拒みて白人の施療院に病む最後わずかに知れり物言わぬ老い
・盲目の白人の妻となるはての施療院の死や被爆者として
・八月六日その子を負いて火を逃るる一生(ひとよ)の記憶たれも生きざれば

・河原までたどりて独り子の死を目守(まも)る日本語に苦しみし二世の子なりしを
・進駐軍に雇われ雇われ生きて行けりそれより後長きおんなの生涯
・広島の日ののちひそかに生きて過ぐる血縁ら国捨てし叔母に知る死も
・人はひとりつねにかなしく脆くして囹圄(れいご)を出ずると今日のみ伝う
・そのことばにて君が読み示す聯いくつ韻(ひび)きは今悲し時の悲しみ

・時を負えば詩が悲劇なることの意味理解して筆談を交すしばしを
・記憶疼くと告げねば崖迫る街連るる雨過ぎて長江は洪水のごと
・伴わるる周公館また八路軍弁事処あと君ら抗日戦の日を言わざれど
・抗戦に内戦に国府軍参謀たりし過去淡々と語ればここは異郷ぞ
・四人組の後に来し日をいう言葉君にも静かにて告げざらむこと

・壁白き街々に野戦病院のありしいずく行き過ぎむ旅にして彼らに告げず
・今日ここは戦場ならず遥か生きし兵とし来りて護岸のたたずみ
・馬糧を負う沖の使役にいそしみき侵略戦の日に吾は一兵
・その埠頭の残るを心のこととして長く佇めば吾は去るべし
・開戦の日にして街急ぐ兵なりき行方吾が知らぬ原隊追求の兵

・始めより知る友情に吾ら会う詩ゆえ生きたりしひとつ時ゆえ
・侵略者の兵たりし過去より吾が言わむことばはひとりが早く遮る
・一様に抗日戦の日を口にせぬやさしさを孤独とする旅として
・その時代を苦しみましたと告ぐることば静かにて詩人とし生きゆくことか
・「苦恋」批判国に推移しゆくものも言わざれば旅に一夜のみ会う

・北のいずへに森林の詩を作るねがい告げてさざめけり街に別れ合う
・小さきラジオ目覚めに妻はひとり聞く一夜しぐれの窓を閉さねば
・「苦恋」批判国が統べゆくときを知る日手を把り別れき名さえ忘るる
・「苦恋」批判なおし知るなき旅の日々に詩を語らざりき詩人らとの逢い
・夜半に覚めて息つめワルシャワのこと思う何になだれむ声を絶てる街

・一国にたちまち軍政のときをを伝うなだれなだれゆくもののまぼろし
・軍政下のはるか街にして雪はふぶく毛皮深く行く兵ら市民ら
・軍政の知るなき世界冬を暗く雪に聖夜の列つづくという

一首鑑賞(21):近藤芳美「信仰告白長きためらいに佇つかげを」

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信仰告白長きためらいに佇つかげを夢に見ていきみずからの影
近藤芳美『樹々のしぐれ』

1913年に生まれた近藤は、第二次大戦中に補充兵として中国に赴く。しかし訓練中の負傷と肺結核の罹患のために後方部隊へ送られた後、日本に帰国する。しかし近藤は、生涯にわたって戦線を離脱した後ろめたさからくる悪夢に苛まれ続けたことが数多の歌から窺える。

  生きて四囲にあかしてならぬことありと叫びはつづく吾が夢の際(きわ)『遠く夏めぐりて』
  遠く負う戦場離脱の兵の記憶血を吐き逃れ来ぬ今日に生くるため『アカンサス月光』

近藤が病に臥せったのは事実であったろうが、自身は戦争を逃れて妻との生活を選んだかのような実感が纏わりついたようだ。近藤は、妻から生き延びてほしいと哀願された電報を懐に秘めていたという。

  かかる時代に生きむと告ぐる電報を秘めて征きたりき妻はその日病む『樹々のしぐれ』
  一枚の電報にして汗に汚る秘めて征き征きし生きよと呼べば『 〃 』
  病床よりひとり逢いに来し磯の営舎原隊追求の日の吾のため『アカンサス月光』

自身病床にあった妻は、広島宇品港で原隊復帰のために備えていた近藤を訪ねている。そのことが近藤の心に何の揺らぎももたらさなかったとは考えにくい。

  死の偶然生の偶然逃れ生きし兵ゆえ怖れて妻と生きしゆえ『アカンサス月光』

さて掲出歌であるが、近藤が執拗に付きまとわれた明け方の夢の一つであろう。近藤はギリシアやイタリアなどキリスト教の影響の濃厚な地域を歴訪しその旅行詠も物しているが、洗礼は受けたとは聞かない。種々の経緯があったにせよ、近藤には前線から引き上げてきたことに心の咎めがあったのは間違いなさそうだ。掲出歌には次の歌が続く。

  偽証者のひとり吾がうちに喚(よ)びさけぶ一生(ひとよ)の思いつねに目覚めに『樹々のしぐれ』

夢の中で近藤はイエスを主とする信仰告白を為そうとしたらしい。しかしその前に長い沈黙があった。おそらく「偽証者」は、その沈黙を破って近藤の罪責を告発したようである。――前線に戻ろうと思えば戻れたものを!!――近藤の潜在意識には、これまで犯してきた全ての罪をイエス・キリストの前に差し出し、赦されることを望む気持ちがあっただろうことは想像に難くない。だが、潔癖な近藤の自我はそれを握り潰した。
この現実を前に私は、『また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです』という聖句(コリントの信徒への手紙 一 12章3節)を思い出す。そして、近藤の重荷をイエスがご存知であったことを思うのである。

大丈夫かなぁ…と。

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どしゃ降りに デザイン画持ち
面接へ 向かった友を 遠くで案ず
(とど)

2010年10月30日 作歌、2015年12月18日 改訂。

でも胸が詰まって書けなかったそうです。

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わが詠める 挽歌墨書に 残したいと
愛餐会に 細君の請う
(とど)

2009年12月27日 作歌、2015年12月21日 改作。

慣れた手つきで。

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風邪よけと
冬至南瓜を 味噌汁に
拵える友は 来春に去る
(とど)

2010年12月24日 作歌、2015年12月22日 改訂。

ルピシア福袋♬初のノンカフェイン・ローカフェインです。

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この冬は実は、某Tというショップのお茶の福袋を狙っていたんですが、気がついたら完売御礼となっていて…。
それでいつもながらのルピシアの福袋を頼むことにしました。

例年1月の下旬から、花粉症とおぼしき目の痛みなどに襲われるので、その対策も兼ねて今回はルイボスティーがたっぷり入っているともっぱらの噂の《ノンカフェイン、ローカフェイン、ハーブ》の竹リーフティー(5400円)を選びました。

内訳は、
  ◆デカフェ・スペシャル
  ◆デカフェ・アールグレイ
  ◆デカフェ・サクランボ
  ◆デカフェ・アップルティー
  ◆エルニーニョ
  ◎ヤミー
  ◎ピーチメルバ
  ◎ピッコロ
  ◎ラビアンローズ
  ◎キャラメル&ラム
  ◎オーガニック ルイボス ナチュラル
  ★スウィートドリームス!
  ★ジンジャー&レモンマートル
  ★ボン・ヴォワヤージュ
  ★エルダーフラワー&カモミール

噂に違わず、ルイボス系が6種類\(^o^)/
★はジンジャーが入っているもの。寒さ対策もバッチリですねo(^_-)O


おまけは、通所に持参できる《人気のお茶ティーバッグセット》を。

内訳は、
  ●ダージリン・ザ ファーストフラッシュ
  ●アフタヌーンティー
  ●ベルエポック
  ●ユニオンジャック
  ●アールグレイ
  ●アップルティー
  ●オレンジ&ジンジャー
  ●ロゼ ロワイヤル
  ●知覧 ゆたかみどり
  ●信楽 熟成ほうじ茶
  ●グレープフルーツ
  ●白桃烏龍 極品
  ●抹茶きらら玄米茶
  ●ピッコロ
  ●ジンジャー&レモンマートル

これで、この冬~春を元気に乗り越えられそうです♪

一首鑑賞(22):古谷智子と岡井隆のキャロリングの歌

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をとこにもをんなにもあらぬ声に子ら歌ふ聖夜灯せる門を巡りて
古谷智子『神の痛みの神学のオブリガート』

 昨夜、初めてクリスマスイヴのキャロリングに参加した。イヴ礼拝には以前一度だけ出席したことがあったが、何しろ就寝前に服薬があるという身分、その時は礼拝が終わるや否やそそくさと帰路に着いた。
 そんな境遇を押してまで今回イヴ礼拝後のキャロリングに出てみたいと企図したのは、首掲の歌と次の一首について鑑賞文を書きたいと考えたからである。

  声変りしつつある故唱へぬをあはれがるころキャロルは終る/岡井隆『宮殿』

 イヴ礼拝後20分ほどお茶の時間を持ち、それから連れ立って駅へ。到着してみると、何と大人から子どもまで30人近くの顔ぶれがあった。まず「もろびとこぞりて」で元気よくキャロリングを開始。だが、曲が終わっても電車が到着しない。予定よりも電車が遅れていたようで、次の「きよしこの夜」を歌っている最中にアナウンスが流れてきた。「きよしこの夜」なんてよく知っている曲と思っていたが、案外アルトのパートが難しい。大所帯のこちらとあちらでだいぶ音程に開きがあるような不協和のハーモニーが響いていて、ちょっと後半は歌えなかった。「あらのの果てに」を歌い始めても人影はまばら。「電車来ないねぇ」などと言っていると、私の右隣で歌っていた男の子が「電車過ぎて行っちゃったよ」と一言。そのままでも恰好つかないので、もう一度「きよしこの夜」を讃美。一人よく通る声の歌の上手い子がいたが、教会学校の親御さんに訊くと、最近教会に来始めた子だという。普段私は教会学校の親子との接触が少ないので、なかなか新鮮だった。とりあえずその場はお開きになって、一行は近所のS病院へ向かった。私はお暇して車を置いてある駐車場へと歩き始めた。その道々、「♪主は来ませり~、主は来ませり~」と歌声が聴こえてきて何ともほのぼのとした気持ちになった。まあ、一番大きかった声の主は牧師だったが(笑)。
 今回は駅など四ヶ所程度を回る予定と聞いていたが、過去には病気療養中の信徒のお宅を訪問して歌ったこともあったそうで、それはご本人にもご家族にも心温まるひと時だったようだ。「をとこにもをんなにもあらぬ声」――、昨日のキャロリングに参加した多くの子供達はちょうどそんな年格好だったが、病に臥せっている方にとって子らの歌声はまさに天使の声のように響いたかもしれない。昨晩も、上手く歌えなかったり、色んな雑多な想いを含めながら、キャロルは終わってしまった。でも、心に何かぬくもりを残して過ぎた時間であったことは相違ない。

営業部の課長の大盤振舞い。

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残務にて 出社の人ら
夕めける 歳除のオフィスに
ふぐちり突つく
(とど)

2011年4月20日 作歌、2015年12月31日 改作。

あけましておめでとうございます

『山西省』より

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宮柊二の歌集『山西省』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・こころばへ淋しくなりて私語(ささめ)けり悔(くい)あらぬ兵を遂げむと思ふ
・叫びつつまつはる弟(おと)のをさな頭(づ)を摑み窘(たしな)め君出征(いでた)たむとす
・短氣に死ぬなと宣(の)らして色冷やき蟲除(むしよけ)網戶にみ眼やりましき
・文庫本萬葉集を祕めてきぬ裝具はづして背嚢を探る
・たたかひの最中(もなか)靜もる時ありて庭鳥啼けりおそろしく寂し

・敵彈が身近となれば水面に近き岩罅(がんく)に下りて進む
・飯盒(はんがふ)の氷りし飯(いひ)に箸さして言葉なく坐す川のほとりに
・肩寄せて綾目も分かぬ夜の磧(かはら)を睡(ねぶ)りつつ行きいくたびも轉(ころ)ぶ
・五度六度(いつたびむたび)つづけざま敵彈が岩をうちしときわれが輕機關銃(けいき)鳴りそむ
・敵彈が崩しそめたる崖下を次ぎて駈け抜く提銃(さげづつ)にして

・北面の外廓の壁に集まりし彈痕の高さ目の程を越えず
・時待てば低き星簇(むら)がりて相伏す友があらき息づき
・おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様(ありざま)をまつぶさに逐(と)げむ
・おほかたは言(こと)擧(あ)ぐるなくひたぶるに戰(たたか)ひ死にき幾人(いくたり)の友
・蠟燭の寸ばかりなるを惜しみつつ寒ければつくろふ襦袢靴下の類

・足つぎて夜半歸(かへ)りくる密偵の哨門通過を訊(ただ)す聲鋭し
・鷄をいすくめ抱へ密偵の丈の低きが捕(と)はれ來りぬ
・寄り集ひ遊ぶ童の大かたが眼を疫(えや)みつつ陽を羞明(まぼ)しがる
・幸(さきはい)は富者(ふうじや)に生(あ)れむ目のく一人混るは陳が家の子
・蹠(あしうら)に毬つき遊ぶ少年の低聲きけば讃美歌うたふ

・荷を退けし背(せな)の寂しさ彈丸(たま)避けて居處(ゐど)移しをる彈藥馬の列
・鞍傷(あんしやう)に朝の⾭蠅(さばへ)を集(たか)らせて砲架の馬の口の草液(くさじる)
・暗谷(くらだに)に昨夜(よべ)墜(お)ちゆきし馬思(も)へば朝光(あさかげ)ぬちに寄り合ひし馬
・ひまなく過ぎゆく彈丸(たま)のその或(ある)は身の廻(めぐ)りにて草をつらぬく
・匍匐して敵に寄りゆく時だにも記憶あれば斷(き)れつつ掠るごと浮ぶ

・暗き燈(ひ)にわれは書きつつなきがらに雨打つ側(わき)は誰(た)が立ちゐむぞ
・目の前に黄河はひかる汝(な)が死(しに)の昨日(きぞ)の夜なる確さ薄し
・砂の上に水岐(わか)れつつ音も無し磧(かはら)瞰下(みおろ)す銃眼の中
・十一時が日向を寒くつくる頃あまた墓標を兵ら運びく
・頂の見通し据ゑし銃眼に雲母(きらら)のごとき一日(ひとひ)の空や

・後前(あとさき)なく彈丸(たま)落ち來(きた)つて腹に應(こた)へ轟き初めし迫撃砲の音
・殆どが鬼籍となりし小隊に呼びかくるごとく感狀(かんじやう)下る
・荒れたるに任せしはかどがをりをりに黄沙(くわうしや)のひまに現れて消ゆ
      *「はかど」は漢字がありませんでした
・きはまりし疲(つかれ)の果(はて)は秋口の黄沙(くわうしや)の上に相抱き眠る
・ほとんどに面變(おもがはり)しつつわが部隊屍馬(しば)ありて腐れし磧(かははら)も越ゆ

・血に染(そ)みて伏しゐし犬がまだ生きて水すする音暫(しばし)ののちに
・自爆せし敵のむくろの若かるを哀れみつつは振り返り見ず
・彼我(ひが)の火力暫く止みて霧くだる朝近きころ相寄りてゐき
・朝霧を赤く裂きつつ敵手榴彈(てきてりうだん)落ちつぐ中にわれは死ぬべし
・不覺の淚おとせり隊長を擔架(たんか¥)に擔(かつ)ぎあげしとき

・あかつきの暗き水際(みぎは)にひしめきて渡河序列の隊、馬整(ただ)すこゑ
・あかつきの風白みくる丘蔭に命絕えゆく友を圍(かこ)みたり
・はるばると君送り來し折鶴を支那女童(めわらは)の赤き掌(て)に載す
・彈丸(たま)がわれに集りありと知りしときひれ伏してかくる近視眼鏡を
・異狀なく後衞尖兵(こうゑいせんぺい)過ぎたりと跡確めてわれも走り出づ

・装甲車に肉薄し來(きた)る敵兵の叫びの中に若き聲あり
・鐵板にあつまる彈丸(たま)の固き音さむざむと近し六人(むたり)の膚(はだへ)に
・救援の一個小隊下車せしがただちに山の銃聲に向ふ
・たたかひのひまひまに君が作り呉れし草蓬餠よ早や見る日なけむ
・巧みつつ通匪(つうひ)しありと年老いし葡人齊(ぼじんさい)神父を村の者告ぐ

・いかにして運びか来にしオルガンに老いしその妻も肘載せて迎ふ
・仕へつつ阿媽(あま)一人をりいつしらにこころは宗東漸に及ぶ
・石庭(せきてい)に屋根の端なる十字架(くるす)影長く曳きたり夕光(ゆふひ)射しきて
・吐き捨てし含嗽(うがひ)の水が陽に霧(き)らひ七色なしきかつてありし日
・¥帶(たいけん)劍の手入(ていれ)をなしつ血の曇落ちねど告ぐべきことにもあらず

・机ひとつの距離ある壁に貼られある戰歿者氏名の分き難き夕べ
・必ずは死なむこころを誌(しる)したる手紙書き了へ亢奮(たかぶり)もなし
・蠟燭の炎直立(すぐた)ち靜かなる夜半なり雪に砲聲きこゆ
・戰(たたかひ)ゆ生きて歸れりあな羞(やさ)し言葉少なにわれは居りつつ
・亡骸に火がまはらずて噎せたりと互(かたみ)に語るおもひ出でてあはれ

・ふとして息深く衝くあはれさを繰返すかな重傷兵君が
・石多き畑匍ひをれば身に添ひて跳彈の音しきりにすがふ
・天幕を蓑のごとくに着こなすと越後の兵が誉められてをり
・胡麻畑(ごまばた)を踏みゆく若き友が言ふあはれ白胡麻は内地にて價(あたひ)高しと
・敵襲のあらぬ夜はなし斥(しぞ)けつつ五日に及べ月纖(ほそ)くなりぬ

・護送途次ややによろしと傳へ來て死亡を傳ふ二時間の後(のち)
・落ち方の素赤き月の射す山をこよひ襲はむ生くる者殘さじ
・磧(かはら)より夜をまぎれ來し敵兵の三人(みたり)迄を迎へて刺せり
・ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづをれて伏す
・息つめて闇に伏すとき雨あとの峪(たに)踏む敵の跫音(あおと)を傳ふ

・一角の壘奪(と)りしとき夜放れ薬莢(やくきやう)と血潮と朝かげのなか
・俯伏(うつふ)して塹(ざん)に果てしは衣(い)に誌(しる)しいづれも西安洛陽の兵
・戰死馬の髪を祕めつつ戰(たたかひ)に面變(おもがは)りせる若き汝(なれ)はや
・陣中日誌に不便すべしと失ひし時計を捜す屍體(したい)の間(あひ)に
・⿆(むぎ)の秀(ほ)を射ち薙ぎて彈丸(たま)の來るがゆゑ汗ながしつつ我等匍ひゆく

・登攀路(とはんろ)が落下しつづくる砲彈に幾分(いくふん)ならずして跡方もなし
・次々に銃さし上げて敵前を渡河するが見ゆ生(いき)も死もなし
・あなやといふ間さへなし友を斃(たふ)し掃射音が鋭く右に過ぎたり
・啼きゐたる佛法僧が聲やめて山鳩が啼くしづけきかな
・銃劍が月のひかりに照らるるを土に伏しつつ兵叱るこゑ

・數知れぬ彈丸(たま)をし裹(つつ)む空間が火を呼ぶごとくひきしまり來つ
・砲彈が間なく頭上を過ぐれば肝にしひびく飢(うゑ)せまり來つ
・汗あえてわれら瞻(も)りをり向ひ峰トーチカに迫る友軍あるを
・胸元に銃劍うけし捕虜二人⾭深峪(あをふかだに)に姿を呑まる
・今日一日(ひとひ)暇賜ひて⿆畑(むぎばた)に友らの屍(かばね)焼くと土掘る

・限りなき悲しみといふも戰(たたかひ)に起き伏し經(ふ)れば次第にうすし
・はつはつに棘の木萌(めぐ)むうるはしさかかるなごみを驚き瞠る
・とらへたる牛喰ひつぎてひもじさよ笑ひを言ひて慰さむとすも
・いさましくかへり見ざりし亡骸を秋草花にまもりし二夜(ふたや)
・山くだるこころさびしさ肩寒く互(かたみ)に二丁の銃かつぐなり

・亡骸に赤き炎の移る見て目尻(まなじり)ぬぐふは「煙(けむ)が噎(む)す」といふ
・右頬を貫きし彈丸(たま)鋭くて口より出でて行方わかずとふ
・齡若き兵が憑(たの)みて寄せし文(ふみ)虔(つつま)しくして讀めばかなしゑ
・鉢薔薇に夕べの⾭き光差し癒えねばならぬ體ぞわれは
・戰(たたかひ)を語るもせなく白き衣(い)に病(やみ)いたはりて睦ぶはさびし

・敵が呼ぶ防寒帽部隊に先行し北の原隊に歸らむとすも
・先逝きし横山の體(たい)を向けなほし一期を終りし行動(ふるまひ)かなし
・一たびも故障なかりし輕機よと分解して抱き自爆せり
・暗闇に銃の手入をなすこともたしなみこえて戰はむため
・をりふしに君等を偲ぶかなしみの侵しは來れどわが耐ふるべし

・右の闇に鋭き支那語を聞きしときたゆたひもあらず我等地に伏す
・彈薬の數(かず)聽き了へてのぼるとき地下陣地の燈幽かに洩るる
・呼吸(いき)引くと燈(あかり)に見せしその額をわれ忘れめや一歳(ひととせ)經つつ
・哀しみてあやしく怡(たの)し酒飮めば戰ひ果てし友のこゑごゑ
・歩哨を狙撃して過ぎしかの隊に百の婦女隊員をりしを傳へ來

・ある夜半に目覺めつつをり疊敷きしこの部屋は山西(さんしい)の黍畑(きびはた)にあらず

『小紺珠』より

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宮柊二の歌集『小紺珠』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・たゆたへるわが朝夕を振りかへり弱きオポチュニストとなる勿れ
・くるしみて軍(いくさ)のさまを告げし文たたかひ済みて妻のなほ持てり
・試驗管を持ち歩むときライナア・マリア・リルケを憶ふは何ゆゑ
・集團の生活(たつき)の中に瘤をなす靜けさありと聲も立てなく
・疲れたるわれに囁く言葉にはリルケ詠へり「影も夥しくひそむ鞭」

・悲しきや殉死せざりし少年にドン・ミゲルありき文祿四年
・しはがれて暁告鳥(あかときどり)の鳴くころにわれは眠らむ蠟の灯消して
・猫も食ひ鼠も食ひし野(や)のいくさこころ痛みて吾(あ)は語らなく
・蠟燭の赤き焔はゴーリキイの眉を照らしてともりたるや否や
・贖罪のこころ持ちつつ筑前の炭山(やま)に働く従弟(いとこ)をぞ思ふ

・病みこやるわが裾の邊に幼子が來て坐りたりこの溫もりや
・午過ぎし土に下り立ちをさな子がをりをり風に眼を瞑る
・みまかりの四年(よとせ)程まへ嘖(ころ)ばへしみ聲ぞ迫るいまの現(うつつ)を
    ルオー「郊外」
・夜の黒き十字架の丘にちかづきて停りし馬車よその馬車もく
・支那地史の譯書(やくしよ)に熱(ほめ)き讀みゆくもわれが一代(ひとよ)の何に關はる

・子は眠り今宵しもおもふ過ぎし日に企てなりしこと一つなし
・わが母と妻の母とがこもごもに訪ひ來ては歸る複雑なり
・上の子の睡(ねむ)きまなぶたさすりやり何(なん)に悲しゑ父われの指
・わたくしに得しよろこびと胡麻の實の黒く熟れしを妻は見せに來
・泪ぐみ母默りをり因循を責めらるる父責めてゐる弟(おと)

・おろおろと聲亂れこし弟が立ちゆきて厨に水を呑む音
・汝(な)も吾もたまたま遇ひて今日の日に言ひたきことを言へば鋭し
・襲ふごとわれに來るもの山西(さんしい)にかつて遇ひたる⾭深き空
・しばしばも幻覺のくる夜にしてふるさとの山の鋭き音もすも
・かすかなる卽興言ひて笑ひたる落語家(はなしか)のこゑわれは羞ぢらふ

・海わたり歸りきたれる引揚(ひきあげ)の人らの中に少年もをり
・諦めと悲哀ひびかすまぼろしの聲きこえつつわれは生きつぐ
・權威なき立場に立つとわれは言ひ騒然とせし中のこゑを待つ
・この夜しきりに泪おちて偲ぶ雪中(せつちゆう)にひたひ射抜かれて死ににたる彼
・硝子戶が夜半の⾭みに冴ゆるころわれは立ちゐつ毛布かむりて

・肉落ちて君等働くをとつ日(ひ)も目まひして一人機械に倒れき
・戰爭の據(よ)りて來しもの明(あき)らめて我等を衝(う)ちつつ裁判のこゑ
・戰(おのの)きをともなふ恐れありしかどひとたびも神あらはれざりき
・織豐(しよくほう)の代(よ)の悲しみを西班牙の伴天連の筆今日に傳ふる
・老衰の父焦(いら)つさまこまごまに見て来にしことこころどに沁む

・父の邊(へ)に老いの寂しき醜のかげこの夜見しから泪は落つる
・嫁がざるままに過ぎ來てわが姉が老いて常臥(とこぶ)す父を怒(いか)れり
・自らを守らむとしてやや貪にたくはへ祕めて姉老いそめぬ
・わが前にからだ小さくあゆむ母若く過ぎにし伯母の羽織着て
・冬空に木魂を引きし汽笛音消えゆくときに悲しと母言ふ

・椅子に倚り机の埃撫でをれば入り來し妻の何も言はず去る
・つまらなく毛布かむりて埋み火の火鉢を跨ぎゐることのあはれ
・おももちを寂しくなして傘をさし五目竝(なら)べを覗きゐる妻
・くらやみに燠は見えつつまぼろしの「もつと苦しめ」と言ふ聲ぞする
・をりをり身内(みぬち)過ぎゆく安らぎを寒き憩ひと言はば言ふべし

・告白と藝術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面(めん)」を發見せり
・敗れたる國に從ひ古き知識また矜持を捨てむときに遇ふ
・古本の「ぎや・ど・ぺかどる」買ひもてり富人(とみびと)のごと銀座を去らむ
・山薯(やまいも)を掘る少年は顏上げて飛行士墜死の日のさまを教ふ
・譬ふれば掘井のふかき水の面覗くがごとき一二日あり

・さまざまに象(かたち)は迫り雨の宵貧しくをれば怖れに似たり
・みにくさをこころに祕むる老い人のたたかふごともわが父の生(いき)
・たたかひの中に育ちし子のまへに多く默(もだ)しておくれゆく父
・老いぬればこころ卑しくものいふと言葉うるみて母は父を言ふ

『晩夏』より

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宮柊二の歌集『晩夏』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・屈竭(くつかつ)のこころ放ちて仰ぐらく白梅にさむき光射したり
・うつうつと汗ばむ吾が身熱あれば悲しき顏に河童寄り添ふ
・笛を吹く緑の體(たい)の小河童も悲しからむと妄想(まうぞう)に持つ
・ガレージの軒に燕の巢(すく)ひたる首夏の一些事わが胸を去らず
・わななきて激(たぎ)つこころの悲しみもはばかりあれば具體にしがたし

・もの憂くてわれ起き難し目の前に斷崖(きりぎし)のごと夜の簾垂る
・信仰をおもふならねどしきり戀(こほ)しサン・ダミアノの處女(をとめ)クララの
・手を振りし友と別れて歸りしが何か虛しく眠りけらしも
・秋空の完(また)けき晴に晝寢(ひるい)より目覺めて部屋にをりけり我れは
・爲すなくて黒き机に凭(よ)りゐつつかくあることも苦しき夜半ぞ

・うづたかく書物亂るる中に戾り諦念(あきらめ)もちて靜かに坐る
・いかなる時か心にせまりきて湛(たた)ふる寂しきファウストの言葉
・茱萸(ぐみ)に降る寒雨(さむあめ)見れば犯したる罪としもなく冬ぞ來向ふ
・唐突に食事の箸をさしおきて立ちしわが子の呆然とをり
・なぐらるるごとき感じぞわれの子がわれを心に置かぬ所作する

・意地强(こは)くなりし長(をさ)の子このゆふべ庭に立ちをり何か考へて
・戶をあくる我れにすなはち飛びかかり足枷にしてかなしき子らの
・阿(おもね)りをいふ子きらひと言ひさして見れば溢(こぼ)るるばかりの泪
・勁(つよ)くして縋らぬものぞ一口に言はば慈悲なぞ乞はぬ者となれ
・必要となしつつ購ひ得ぬ本いく册やうやくわれの心衰ふ

・滑稽を彼言ひしときこもりたる語氣の悲哀を感ぜしかどうか
・この部屋の暗き疊に宙がへりしてゐる赤きブリキの飛行機
・ねぢ切れし玩具を疊に見てをりつ所在なき夜のわが遊び厭(あ)く
・加護あれよ惠みを賜へとラジオにする彌撒(ミサ)の歌ごゑ低き幼ごゑ
・つつましく神を信ずる幼らの一心齊唱をきけば泪ぐむ

・壊れたる町に遊びて暧々(あいあい)と讚美歌をうたひし中國少年ありき
・貧しくて勤務(つとめ)もてればもろびとにかへりぶみせぬ時は過ぎゆく
・いくたびか衝迫しつつおもふかなこころ賤しくなりたくは無し
・聞きとめて泪いできぬ外しおきしわが腕時計の秒刻の音
・わが額に曳くくらき翳見し人を思ひ出て晝の部屋に立つ

・禱るがに祕めて耐へこし一つごと妻居らぬ部屋に坐りてゐたり
・原罪といふはいかなる罪ならむまぼろしに鳴る鞭の音する
・内海(うちうみ)の島に照る日のまねき晝汽車につかれて眠る妹
・暗くなる部屋に坐りぬわが胸に惡しき象徴(しるし)の鴉鳴くこゑ
・翼(はね)搏(う)ちて荒寥と空に鳴きあぐるまがつ鳥(どり)鴉を胸ふかく飼ふ

・みづからを縊(くび)らむとする淋しさのありやと問はれ答へがたくをり
・雛壇をよそに見てこし幼子が淡々(あはあは)言ふを見凝(みつ)めゐつ妻が
・わが前をいま過ぎゆくは痩せたれど軍の挽馬の出にあらざるか
・枝差に今日ある意志を信ぜよと鮮(あたら)しき實の孤獨に光る
・語尾訛り音聲重し父よりもこころ複雑に老いてこし叔父

・戀の句の釋(と)きがたきかなおろおろと鳴ける夜鳥を憎まむとをり
・いくたびか庇ひかばひし小さき惡泪ぐむまで今日詫びて言ふ
・歸りゆく孤獨の後姿(うしろ)かの日より俄かにいたりし老(おい)と見て來し
・雨の中職失ひて歸りゆく老職工は小さき傘さして
・身のめぐりさまざまにして事起り齢蹉跎(さだ)たる歳も過ぎゆく

・安らかにひととせあれよ刃のごとく合歡の冬枝(ふゆえ)に來し新(にひ)ひかり
・いささかの金なりしかど睦月過ぎて買ひ得し足袋を子は抱きて眠る
・わが世界狹しとおもひ夜半にをり次第に猛りくる憤怒(いかり)あり
・疲れたる體ころぶすあけがたの暗き疊の浮くごとく見ゆ
・蝉のこゑ山にしてゐる幻聽を寂しと思(も)ひつつ夜半に起き居り

・さ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆は垂る
・目邊(めもと)よりうかぶ目脂(めやに)におどろきて命絕えゆく人を見守る

『日本挽歌』より

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宮柊二の歌集『日本挽歌』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・刀(たう)持ちて義姉(あね)を追ひたる孤獨なる勞症の生を少年畢(をは)りぬ
・御墓より拾ひこし石掌に置けりこころ和(な)ぐまでこの夜ふかしも
・夜半の燠尉(じやう)となりつつそのそこに朱の篝(かがり)を戀ほしくとどむ
・血を吐くとつたへきく人傷(かなし)めどおもかげとほくたちがたくなりぬ
・わがよはひかたぶきそむとゆふかげに出でて立ちをり山鳩啼けり

・たかむらに梅雨の靄たち山鳩は娑婆苦耐へよといふごとく啼く
・重りくる病床(ふしど)脱けつつ生きつがむ證左(しるし)に草を抜くといふうた
・禮(ゐや)ふかく吾をし待てる盲人を部屋の口にて暫し目守(まも)りつ
・人を傷めぬよき子になれと中の子の廣き額を撫でてをりたり
・人去りし部屋にノートを整理して「顯僞録」すこし讀み寢につかむとす

・明け昏(ぐ)れの舗道にて追ひ越されつつ壯(わか)き靴音をひとして憎む
・茫々とせる過去にして奮をこころに長くのこす人見き
・しづかなるわれをかなしと去りゆきて友ら旣に黨中(たうちゆう)にあり
・むさぼらむ眠(ねむり)ちかきは逸樂にかたち相似てかなし一とき
・占領の解かるる夜半にかすかなる誓をたてぬ自らのため

・軒下を猫鳴いてゆく夜の厨つめたき酒をふふめば噎ぶ
・幸(さいはひ)はながくあれよといふ言葉告げむとしつつ口を噤(つぐ)みぬ
・思想とは生活の謂(いひ)たとふれば批評のごとき間接をせず
・みづからを僞るまいとおもふとき體ほてりて夜の闇にをり
・晩春の雨しげくして夜の暑し巢籠りけむかかの山鳩も

・生活の貧しきはつねの覺悟にて柊南天の⾭實見て立つ
・収奪の形おもほえ春の野の大き鷄舎を覗きゐたりけり
・振返り母の側(へ)にたつ竹の落葉のふかき徑ゆきらんどせる負ひ
・消極の子の生(いき)にしもをりをりは光る泪のごときもあらむか
・しらけたる夜半の疊にながながと體をのばす老い猫のごと

・刀(とう)佩(は)ける清き面影ゆらぎつつ寂しきことに心を任す
・耳鳴(みみなり)のふと放れたる夜の一瞬時計は清く音すすめゐる
・梅雨ふかく明けきつつあるこの道の光のなかに竦(すく)みつつ立つ
・晩(おそ)き梅雨音たててふるあけがたに山鳩啼けり沁みとほるまで
・口中(こうちゆう)に鹽(しほ)をふふみてひた暑く暗き現場に働かむ今日も

・いさぎよき口調をつかひ物賈(ものうり)と應接なしき錢なき妻が
・つかれとも幻視ともおもほゆるみちみちて海を移動するひかり
・銃を負ひ背嚢を負ひたちまちに苦(くる)しわが幻影あゆみ去る
・汗ふかく街あゆみきてうしろより劫餘(ごふよ)の風に吹きつつまるる
・反動し論をすすめてゆく際(きは)の媚ぶるがごとき表情變化

・いきどほり抑へかぬるに自嘲わきあざなふごときおもひして聞く
・あけがたの雨を知りつつ目覺めをりこの體早や疲れをになふ
・まひるまの蜩(ひぐらし)きこゆこの道につねより寂しくこゑの透れり
・おとうさまと書き添へて肖像畫貼られあり何といふ吾が鼻のひらたさ
・人間の一面にくらく寂しきもの漂ふを見き碁を指してゐて

・頑(かたくな)をまもりてひとときつきあへり疎み去られむ將來(さき)を知りつつ
・梟は夜の飛行機の爆音下こゑひそめをり竹群(たかむら)にして
・をさなごの居眠る側(かたへ)ころがりて鉛筆の鋭しわが貧長し
・ありありて人に告げねど解しがたき論理の部分に寂しくこだはる
・根づきこし挿木見下(おろ)し立ちてをりわがこころかすかに奮ひ起たむとす

・もろもろの怒(いかり)しづめむ場(ところ)とし利用してきたこの小書齋
・人のごとおこなひ得ぬを恥として常にしりぞき諦めきたりぬ
・炭おこるしばらくの音机側(きそく)なる戶の火鉢の中にしてをり
・悔恨に反省まじりおぼおぼしこころ泪をふふむごとしも
・竹群(たかむら)に朝の百舌鳴きいのち深し厨にしろく冬の鹽(しほ)

・決したる心に搖らぐ寂しさを孤(ひとり)のものと我は堪へたり
・霜ふかき竹群(たかむら)の朝あけきつつ雀ごのこゑ靜まるときあり
・霜晴れの冬竹群(たかむら)にこのあしたキリストの顏佛陀の顏
・隣家のラジオを聞けば萬歳(まんざい)のこころ寂しき道化言ひをり
・幼子は縁に遊べりその母の處女(をとめ)なりにし面差(おもざし)もちて

・蠟燭の長き炎のかがやきて搖れたるごとき若き代過ぎぬ

『多く夜の歌』より

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宮柊二の歌集『多く夜の歌』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・才無きを恥ぢつつ生きてもの言ふにこころかなしき批評にも會ふ
・はうらつにたのしく醉へば歸りきて長く坐れり夜の雛の前
・殷々(いんいん)ととどろきたりし砲の音あけがたの雨降るに夢覺む
・滾々と告白のこゑやまぬゆゑ立ちて去りきぬ靜かなる堂を
・うつうつと疲れて机に弄ぶ白き象牙の紙截りナイフ

・わがうちの身惡(みにく)き惡魔をりをりに笑ひてゐたり見てをりき吾は
・もの言ひの少(すくな)く低きおとろへを目守(まも)りゐし夢バスの中に覺む
・悲しみを耐へたへてきて某夜(あるよ)せしわが號泣は妻が見しのみ
・方圖(ほうづ)なくわが妄想裡(まうざうり)現はれて跳躍し跳躍しけだものら過ぐ
・老父(おいちち)を抱きかかへつつ巷かへる生の廢殘に入りしかも父

・戰ひにありし寂しき日の記憶うすれ來つつをりおもひに堪へず
・ずり落つる眼鏡外して塵を拭く口惜(くや)しきことも今日祕めたりき
・雛一列壁に影なしてならびたる更けしこの夜の壯大(おほ)き靜けさ
・ひらめきし稲妻のなか卓に置く指太きこの消極の掌よ
・おもほえば恥ふかむのみ一切事(いつさいじ)惡せぬのみの茫々にあり

・汽車降りて友のわらべを抱きたり母へ片似のいとけなきものを
・まどろみの中に傷みて見てをりき磧(かはら)に死骸の燒かれゆくさま
・燒かるるは吾とも他(ひと)ともわかずして雨ふる中に赤き炎上ぐ
・辭書をひく辛さに堪へぬ徐々にしてわれが視力のいまは衰ふ
・辯明をせずに生きむとおもふけど辯明以外の何を饒舌(しやべ)らむ

・子をのこし一人電車に死にゆけるその親を偲びたどき無し今は
・頭よき論讀み了へぬしかすがにわれはしも斯く言はぬを主義とす
・くるしみて隨(つ)く生活法をりをりにかへりみおもふ眠らんとして
・白紙(しらかみ)に罪犯すごとうた一首したため了へぬ息づき餘(あま)す
・果知れぬ空のふかさや青のもと森閑と墓になりたまひけり

・かかぶりし諸(もろもろ)の愛かへす無く若さは我を去らむとしをり
・默々と罵言うけつつ歸りゆく警官隊を詠へる一首
・病み床(どこ)に日中(ひなか)ねむれば尖りたる父喉佛冬の日を浴ぶ
・人間のつひの寂しさ響きたる一言二言を想いつつ歸る
・歳月は波濤とおもふ夕映えのさむき埃の長く流れつ

・原爆におもて灼けたる石一つ祕めつつわれの大事のものとす
・惑溺も憧憬(どうけい)も知りおのづから周圍の若きを見返り給ひぬ
・三十年へだたり會へば戰爭ののちの一時(いつとき)に老いしを皆言ふ
・酒のみて一夜ねむらむ凶作の奥地を君と語りあひけり
・わかものの⿒竝(はなら)びきよく笑ふとき何に騒ぎしわが心かも

・注がれゆくビールの泡のつぶつぶと天井の灯をみな宿しゐつ
・父唄ふ孤りの聲よ部屋距(へだ)て火鉢の灰を均(なら)しをり吾
・あかつきの時刻ちかづく灯の下に莫妄想(ばくもうさう)を言ひて立ちたり
・夜明けがた痛みくる眼に常のごと三十分ほど菴法(あんぱふ)をする
・吐血して意識狂ひし老い母が父呼べば立ちて父の邊に行く

・人間はかく老いせばめられ終るかとおもひて坐る暗きあかつき
・幻像はむね痛むまで若く杳(とほ)しひめゆりの塔健兒(けんじ)の塔
・からがらに遁(に)ぐる夢のみ見續(みつづ)けて目覺めてをりき心弱りて
・ピエ・ディセポレ修道院に日は差して古きみどりの瓦かがやく
・墾道(はりみち)のあしたの霜にのべし手の指太かりし黒衣修道女

・サルビヤの孤獨の朱にかがよへる側(わき)に立ちつつ饑渴碑(きかつひ)あはれ
・へだたりて容るることなく爭へるこのひもじさや山鳩ひびく
・蠅ひとつ叩(う)たんとしたる一瞬の激(たぎ)つに似をり沁みてかなしき
・しづまらぬ心もちつつ時計鳴る暑き日ひとり鉛筆を置く
・原子の火ともらん日にて蛇籠(じやかご)編む歌一首選(え)ることの寂しさ

・禱(いのり)する修道院の鐘のおと夜明けのときに長くきこゆる
・八重葎妻と引きつつ生活の成らざりし日のおもひ甦(かへ)り來
・ヨルダンもシリアももてる悲しみの據(よ)りくる因(もと)を妻と語らふ
・聲高に何に執する老い父か青磁の碗を固く抱きて
・一家族八人の生(せい)秋霧を塞(さい)となしつつ灯を守り行く

・酒に醉(よ)ひ一夜しどろに嘆きけりかかる暮しに壯時(さだ)過ぎゆくか
・屋上に出でてこしとき微かなる感情剥離の乾き覺えつ
・戰ひに生き得たる身と從ひし生活のなか樂しまざりき
・樂隊の街來る中に少年が眞顏一途にトランペット吹く
・徐々にくる「覺悟」といへどつつましきわが應分を勵まんとする

・音荒れて梅雨のあめ降る夜は冷ゆれ癩(らい)病むひとの歌を選(え)りゆく
・ゆれうごく社會にとほく癩病みて歎き吐くがに詠める歌多き
・ひとつ字に歌稿つづけば病む友に代り寫(うつ)しし一人偲ばゆ
・喉ひとつ鳴らして妻は眠りつぎ波立つごとき暗黒の風
・甘草に暑き日は射しみづからの心處(こころど)ひとつもてあまし立つ

・傘の下悔しさもちて歸る夜の雨暗くして方圓(ほうゑん)に鳴る
・むらがりて蚊のこゑの立つ書庫に入りひとりゐたりきこころ衰へ
・身に沁みて齢老けたり戰後倚りて生き得し机の埃を拭かん
・群れて去る人々すべて秋の日を平安(やすらぎ)のごと靴に映して
・流れたる一瞬の樂「バッハの遁走曲(フーガー)」うなだれ步む生活者われ

・體内に黒く擴(ひろ)がる氾濫をふせがんとして步みをり孤り
・清まらん今の希ひに降りかさむ炎のごとき落葉踏み行く
・たたかひの後を生きつつ身に疼くくらき痛みを語りあへなく
・戰爭に近づくなかれビラを配り叫ぶ圍(めぐ)りに人は集(たか)りて
・言色(げんしよく)のすくあんき酒舗(しゆほ)のあるじ注ぐ酒ことことと徳利に滿ち來

・燒く鳥の匂ひ立つとき這入(はひ)りより覗ける犬の親し夜の顏
・くらぐらと頭痺れて目覺めたり祈の鐘んも聞こゆるものを
・妻子らが知らぬ部分におし移る生きの境に息喘ぐわれは
・くろがねの灰皿のみが異様なる實感として目の前にあり
・書き倦めば机の上に遊ばせし固き胡桃の實を一つ割る

・あらはなる言(こと)擧(あ)げせねどかたむけし力みづからまんものを
・暗闇に歳來寄る音聞くごとく犬と居りたりその頭(つむり)撫で
・人の香のせぬ河岸(かし)の道行き行きてわれ一人ゆゑ宗教思ふ
・燦(きら)らけき誇大の文(ぶん)を讀みしかど早き蚊遣を部屋に焚きたり
・あはれ常に浮びくるもの追ひつめられ打擲受けんとせし小さき顏

・枇杷剥けば汁(つゆ)したたるを床の上(へ)ゆ眼放たず父が待つなり
・爪切れば棘のごとくに散らばれり汝(いまし)が内を見すといふごと
・おもほえず靜けき人の慷概を見し寂しさもこころに殘る
・鳴りつづく遠き花火に焦(いら)ちつつひとところより原稿進まず
・生活の法立ちがたくありし日のおもひ偲ばせ赤まんま咲く

・病む祖父の部屋に草生(くさぶ)を先頭に唱ひつつ入る何謀(たくら)みし
・腰を折り唇(くち)近づけてこもごもにおじいちやん好きだと囁けりとぞ
・人間を戀ほしみきつつ影のごと蹉跎(さだ)たる悔¥をつねに重ねつ
・クリスマス・キャロル讀みつつ安らけき少女(をとめ)を見舞ひ歸らんとする
・ばしばしと豆音打たす隈々(くまぐま)よ病おもりて父の臥す家

・幼らが折りて吊りたる千羽鶴かたへに父の息細り行く
・苦しみが消えたる顏のま靜かに整はりくるさまを見まもる
・花をもて埋めし父のなきがらを一夜守(も)りつつ蛙(かはづ)ききけり
・獨り居のペン進まずてころぶせば修羅住むのみの胸とおもひぬ
・木天蓼(またたび)を瓶に贈りき東京を心破れて遠く去る人

・振賣(ふりうり)の石を購ひ据ゑたれば父亡きあとの庭落着けり
・雪ふぶくふるさとの夜の道往くに似るとおもへど入りゆかんとす
・引返すべきにあらずと定めたるわれを周(めぐ)りて人の批評あり
・黒犬の頭撫でつつをりふしのあらはしがたき孤獨も遣りぬ
・木の下の盛土に立つ十字架は白き蓮華の花輪を纏ふ

・たましひが去り行けば皆同じさと兄少年が言ひ捨つる聲
・遁れきて信たもちつつ逝きしにや草隱りゐる十字架(クルス)の頭
・生き得たる兵の奉仕の悔しさとよろこびと二つ吾を支へし
・曇り空負ふ硝子戶を背後(うしろ)とす白き二枚の辭令をさげて
・階段を踏みくだりつつ中間の踊り場暗し勤(つとめ)を今日去る

・悲しみの顏と言ひしと人傳てに聞きしより遠く其の人を避く
・行爲なく逡巡に就き逃走をつねに構へき有體(ありてい)に言はば
・退職の願容れられ晴れ晴れとせる顏としも寄りゆけば言ふ
・言ひがたく鋭き胸中は告白(あか)さざりき秋雨打ちてたぎつ神田川
・わたくしを虔(つつま)しくして恐れざる者にありたし始めて斯く言ふ

・青春を晩年にわが生きゆかん離々たる中年の泪を藏す
・生き生きてわが選びたる道なれど或はひとりの放恣にあらぬか
・灯を明(あ)かく待ちゐし妻にたまものの繪を遣らん初めて愛を言はん
・灯のもとに外しし眼鏡汝(いまし)また老い視力を言ひてなげけり
・騒然と硝子戶に夜はひしめきて自勵(じれい)の酒もかく悲しきを

・われに職を退けよと會ふごと迫りたる吉野秀雄をおもへり今は
・かなしみを覗き危ぶみ盃を奪(と)り樂聞けといふわれの三人子(みたりご)
・鳴りひびくはバッハのオルガン・トッカータ秀先光れる怒濤のごとく
・石組の隙(ひま)にをしみて咲かせけん勿忘草かブッセの詩を添ふ

ビィィンと。

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爪切りの 残響音や 冬深し
(とど)

2015年1月10日 句作。

『藤棚の下の小室』より

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宮柊二の歌集『藤棚の下の小室』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・隣家より雨中をピアノの彈音のかくまで生(いき)は善しといふごと
・帽脱げば跡いちじるく殘りをり早や性別の羞かむらしき
・俳號(はいがう)を「木語」など言ひし若き父を妻は知らずて布施つつみゐる
・山鳩の鳴ける晝過ぎ歸宅せる子はもの言はず自が部屋に入る
・病む肩を劬(いたは)りにつつうち響く山鳩のこゑ聞きて留守居す

・斷續(だんぞく)に鉋(かんな)のにぶき音こもる路地に入りきて人を偲びつ
・東京は離れがたしと語りつつ蜜柑とり出して一つ呉れたり
・濱名湖の水の光れる端過ぎてきざす眠(ねむり)にわがあらがはず
・京都にて降りたる人ののこしましし禮(ゐや)の深さを長くおもへる
・様々の十八年をおもふときこのひととせに老いたり妻も

・一様(ひとざま)に戰後の老の寂しきにわが母妻の母起居(たちゐ)衰ふ
・自轉車を道に驅りこし修道女えごの木下(こした)に降りて汗拭く
・君はただ靜かに居よといふ聲のみな若げにて覺えある聲
・文字盤に針光りつつ時計あり痛々しなべてすべなき「生」か
・鋭目(とめ)しつつ寫りてゐたり廣き額(ひたひ)狭き齶鷹のごとき鼻梁

・おのれする孤(ひと)りの息の餘りつつ迫りくるものを身構へて待つ
・茫々と判らぬ後の境涯をおもひゐるとき夜鴨鳴きけり
・燒け屑を選り崩しつつ拾ひ分く文字跡黒きわが歌稿など
・もの燒けし惡しき臭ひにまざまざと友を燒きたる日の臭ひ顯つ
・まだ暗き午前三時を蟲のこゑ思惟こばむまで充ち滿ちて鳴く

・灯の下に鉛筆を置き死の行(かう)の人をおもひてたどき無しわが
・死を止めし人に來るらむきびしかるそれの後なる餘命といふ日
・生活は密事(みそか)のごとし或るときは音祕めて憩ふ病むなどもして
・矯(た)めがたき行動(ふるまひ)のまま生き生きてする悲しみも人は許さず
・相集ひ酒を飮みしが告白のごとく独りが悲しみを言ふ

・讀みつげる聖書を置きぬ人のゐぬ居間にてゆるく時計鳴る音
・編輯便(へんしふびん)書き滯(なづ)みつつ朝日さす部屋に藥鑵(やくわん)の湯氣白く舞ふ
・リーダーに聲を合せて唱ひつつ丘の木(こ)の間に一團はゐる
・被爆せし體の膿(のう)に湧く蛆(うじ)をかたみに爪に取りあひしとぞ
・心臓の周(めぐ)りに發生せる癌に聲奪はれしその朝を語る

・山越しに黄の閃光を見しのみの體はも病むこのケロイドを
・胸のうち波立つごとく怒(いか)るとき庭に野の鳥降り來つつ啼く
・「多磨殘黨(たまざんたう)―」と若き一人が叫びにき頷きて聞く殘黨にてもよし
・體操をして又戾り肘つくになま温かし机のおもて
・新聞を擴(ひろ)げてビールの零れ拭くあさましけれど人いねば爲(す)る

・若かりし日の欲望の姿さへ遠くなりつつビールをぞ飮む
・逝く者の息を引きゆく瞬間(ときのま)を思ひこそすれほととぎす鳴く
・嫌(いと)ひ言ふ妻なだめつつ着ることもなき兵服を保存してきぬ
・雨のまま暮れづく部屋に遮二無二に仕事遂げむと吾は勢ふ
・歌詠むは悲しと思ひ詠まぬよりは淨(きよ)しと思ひ歌を思ふ夜

・歌止めてゆくをとどめしこと無くて一人二人を常に偲べり
・思想より人種の別に白人が憎しみ抱く成行(なりゆき)を示す
・似る故に悲しみおもふ砂漠上に藥莢(やくけふ)を拾ふアルジェリアの女(をみな)
・いくらかは己を慰藉し夕やみに色白く顯(た)つどくだみに對(む)く
・俯きて幼子ゆけりもの思ふ大人のこころ旣に持つごと

・「白牡丹(はくぼたん)くれなゐ蘊(つつ)みうやうやし」一歌句(いちかく)に長くかかづらひきぬ
・古寺の牡丹の花を見めぐりて歸る電車に眼底痛む
・野の光窓より入りて膝に抱く父の小さき骨箱つつむ
・網棚にしばらくは上ぐ骨箱の父も一人に安らぎ給へ
・雪解水(ゆきしろ)に洗はれをらむ父の骨納むべく行く山の墓處(はかど)は

・ふたくにの國境なるトンネルに生死(しやうじ)乘せつつ汽車はとどろく
・木の陰にその親と居る子の雀髪切蟲に似て甘え鳴く
・畫面より薄明は差ししらじらと入りの乏しき空席を見す
・もの思ひ遠くなりつつうつうつと暗き席なる憩ひに眠る
・老いそめて人は死にゆく運命を映畫の上に人は經てゆく

・見覺えのある背後見せ振向かず遠ざかり往けり夢にて人は
・喜びて笑へる聲が内にする障子のそとで著莪移しをり
・歌一首おのが卑怯をさらしつつ詠ひゆく夜に雨鳴りて降る
・子の親の罪いくらかは覺えつつ學ぶ娘(こ)見をりストーブの傍
・この母が祖母に仕へてうら若く泣きいまししをわが遠く知る

・應へつつ言葉の出でぬ折り折りを覺えて己が心を閉ぢつ
・しばらくは孤りの心を得むとして人の影無き公園に來(き)ぬ
・ただ一人ベンチに凭(よ)りて向ふ池色あたらしき冬の眞鯉ら
・躓きしごとき感じに今日ひと日過ぎむとしつつ空暮れそめぬ
・打水の光る舗道を健やかに犬渡りゆき年あたらしも

・廣告の裏を用ゐて亡き父が書き殘したる日記百綴(ひやくとぢ)
・人の恩友の恩ふかく偲ばれて頭(かうべ)俯(ふ)すとき子ら訝しむ
・一人居の充足に住み遊びたる古き良寛、新しき八一
・母が知らぬ嘆(なげき)こそすれ亡き父の常臥(とこぶし)の部屋藤の花蔭
・仕方なく生くるならねど花吹雪身をつつむとき吾が狼狽へつ

・眞直に土のおもてに至りつく早き花びら眼交を過ぐ
・水の無きプールの底に散りしける櫻乾くを見て通り來(き)ぬ
・災ひに遇ひしを告げぬ友ゆゑに從ひて吾がいまだ問はずも
・梁のした湛へし水に死にゆける人らの中に幼きも混(まじ)る
・行き得たる終の一人も悲しみに氣狂(きふ)れて逝けば家絶えしとぞ

・變化する語感と語脈あるときはこころに沁みて歌の上(へ)に思ふ
・さまざまに批評のすめば憚らず鋭く問ひてくる一人あり
・山なかの荒れし河床(かしやう)を徒步(かち)涉るこころあやしも戰(いくさ)思ひて
・窓さきに水打たしめぬ抜⿒後の身の衰へを防がむとして
・羽根刷毛に拂(はら)ふゴム屑消し屑に言葉死にをり一文章成らず

・幾たびも覺めては夜半の床上(しやうじやう)に首垂れて坐る亡き父もせる
・覗きたる思ひの淵とみづからに祕めて來しかな暑き夜悲し
・過ぎゆきしかなしみごとを木(こ)の實拾ふ思ひに似つつ偲ぶときある
・子には子の嘆(なげき)もあらむ或るときのしほしほとせる後姿(うしろ)におもふ
・蟲鳴けるごとくに絶えず耳は鳴り心疲れて机にありき

・矯(た)めがたく狹くあるかと悲しみてある日ある日の己れ過ぎゆく
・庭の木に啼き止みにたる寒蝉(かんせん)は啼き引き際の脆くありけり
・犬鳴くと遠くに聞きしころほひゆ朧となりて眠りたるらし
・古年(ふるどし)のままなる机のめぐりあり初日入り差すわが小書齋
・わが机淨まりてあり妻か子か削り揃へて鉛筆を置く

・密林にデルタに潛み死にゆきし戰ひの者をしばらく想ふ
・罵りて娘をば打たむと立ちあがる我が振舞を我れのおどろく
・高校の入試を落ちて戾り來し末の娘が異様に躁(はしや)ぐ
・子らが言ふ欲望聞けばおのおのに限界約(つま)しく見えつつあはれ
・一つづつ箱より妻の取り出だす古雛(ふるびな)の顏灯に白く照る

・冬の月黄いろならむと偲びつつ夜ふかす部屋に山鳩きこゆ
・修道院の鐘鳴りくれば丘下(をかした)の家の厨にわれ藥服(の)む
・板付(いたつけ)は一線なりと斷定し靜かにありし口調をとざす
・衰へをいたく見せきて老い母が立居するにも唇を緊(し)む
・國東に會ふこともなく老い逝きし君が呉れたる紙縒(かみより)を使ふ

・故ありて今日讀みゆくに新約全書版の古きは詞句あざやけし

『獨石馬』より

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宮柊二の歌集『獨石馬』を読了。目に留まった歌を引いておきます。


・預け人は浦上キリシタンにて「さを七歳」「けい三歳」の童名(どうみやう)も混る
・さわがしき盛(さかり)をはりて散り敷きし櫻を土に踏みつつは來(き)ぬ
・灯のおよぶ池の底ひの鯉見つつ身内にきざす由ある疲れ
・黄にさやぐ穗⿆(ほむぎ)の生も沈默の古墓石も一つ畑なか
・島原のこの暑き道山入りの殉教人ら曳かれ行きしや

・宗門の誓ひの故にいさぎよく逝きし信徒兵ら三萬數千人
・西坂に午後の日ざしは照りつけて二十六人像隈ふかく見ゆ
・君逝きし後も時間はとどまらず墓の面(おもて)に⿔裂は走る
・初日さす梅の木の下土凍り楕圓に鳥の影走りたり
・白眉(しらまゆ)や剛(たけ)く孤獨に生きて來し君おとろへて此處(ここ)に病み臥す

・癒え難きしるしか君がベッドにて繰返しする小さき噯(おくび)
・念を押し然ならずやとわが言ひしとき笑ひは止みて沈默の來(き)ぬ
・言ひさして沈默は來(き)ぬ言咎(こととがめ)寂しきことを人も吾もす
・駈けつけて君がなきがら拜(おろが)むに泪脂(なみだあぶら)を分かぬもの湧く
・ビール飲む通夜(つうや)の席に若き日の君の如くに起ちてくるなし

・轟々と炎群(ほむら)立ち舞ふ音すなり君の彌終(いやはて)いさましきかな
・紫陽花に霧うごきそむ彌撒(みさ)の鐘鳴りつづくころ日に輝きて
・殉教の跡をたづねて上り行く道の傍(かたへ)を水奔るなり
・浦上の人にて切支丹預人(あづけびと)草に埋るるヨハネ・モニカの墓
・ふるどしの記念(かたみ)となして殘し置く松笠ひとつ蝉殻ひとつ

・庭石の北の常陰(とこかげ)きらきらと霜眞白くて古年の霜
・短かかる小原稿に滯(なづ)みきてあけがた近くやうやく上(あが)る
・暑さをば凌がんとして小書庫に晝を入りきてわが一人をり
・思ひ出でて刹那にわれはほしいまま畏れげもなく人を憎みき
・三人で坂くだりくる修道女戰爭のこゑ遠きおもひす

・反故を燒く赤き炎は後悔に似ると思ひて一人向ひをり
・蜩は響き啼きけり彼(か)の國のジャムもリルケも知らざりしこゑ
・戀としも辨(わきま)へずして憧れの瑞々しかりし少女の歌は
・冷房の音する下にもの書きていたく孤獨の思ひきざしつ
・清(すが)しかる蕾の尖(さき)の充滿の力おもへと師は宣(の)らしける

・老い初めしこの胸底(きようてい)の漠(ひろ)さをば何に喩へて子らに告ぐべき
・はろばろと聲聞こえけりがらくたの躰なりともなほ愛(を)しめよと
・騒がしき悲しみに似て闇ぞらに電飾の灯は緑に動く
・雨あとの坂くだりくるライトバン、ハンドルをにぎる黒衣修道女
・歌一首成らんと部屋に坐りをり我の額を朝日は照らす

・朝空に量感持ちて一團(いちだん)の鳥移りゆく羽光らせて
・風呂敷に石肌にほふ青き硯持ちゐることのいまの嬉しさ
・戶を引けばすなはち待ちしもののごと辷(すべ)り入り來ぬ光といふは
・ありし日を語りつつ來てつぎつぎと酒を人らは墓にぞ注ぐ
・たまものの花に顏寄せしばらくは憶いつつをり道元の言葉

・選ぶべき道みづからに定めかね訪ね來し娘かわが病室を
・降り止まぬ雪を白しと去りし子をいくたび思ひ窓に見てをり
・たましひに見極めたしと思ふもの歌うまきより文(ふみ)うまきより
・やうやくに癒えんとしつつ蛙鳴く櫻の下の暗きを步む
・かくまでに心の奥處(おくか)まがなしく嫉妬をするを老いそめて知る

・胸ぞこの底滓(そこり)のごとき寂しさを手摑みに摑み投げ棄てたきを
・病むゆゑに耳朶より血など採られつつテレビの方(かた)のとよめきを聞く
・風出でて庭木鳴りをりわが生きて逝かん終まで聞くべき音か
・鷄頭花(けいとう)に秋冷えの雨晝を降り耐へがたきまで口腔乾く
・雨の降る岸に飛びゐし信濃川の鶺鴒をしも幻に見る

・背後より疲勞の襲ひくる氣配われの厭ふはこの感じなり
・逝く年の藤棚のした孤獨にて凍死(こごえし)をせし土龍(もぐら)ありけり
・露白く柿の落葉に光れるを猫はおそれて庭に避けゆく
・糖尿の爲とし聞けりただ睡(ねむ)くすべて朧となりゆく頭
・秋ふかき午後を着きたる夕張の宿屋に琴を復習(さら)ふ音する

・美しき夜景の灯をば生活の油にじめる灯のいろといふ
・投げ獨樂(ごま)をひとり遊びてわが少(わか)く孤獨にありし日も思ひ出づ
・亡き父の白ひげ思ふなどもしてベッドの上に目を開きをり
・白布(しらぬの)の下の合掌早や冷えて岩のごとなる指を悲しむ
・電柱のてつぺんに昧爽(よあけ)、山鳩が一羽きたりて啼いてゐたりき

・仔雀は瑠璃朝顏に羽觸(ふ)れて飛び退きたり親雀來て
・目覺めつつ汗ばみてをりあかつきの風暑くして戰地の記憶
・山鳩の聲とほくしてこのゆふべ浮くごとく咲く合歡の條花(すぢばな)
・疲れたる折り折りにして啄木のこと生計のことなど思ふ
・硝子戶に映れる影は勵みゐるわが影なれば見つつ憐れむ

・胸の裡騒ぎてひとり思ふなり膃肭獸(おつとせい)のごと老いてゆくのか
・古墓の石の間(あひだ)に生(お)ひ長(た)けて己れはなやぐ菫むらさき
・墓守るわれらの居ねば荒れ荒るる山の墓處(はかど)に蠟の炎(ひ)は燃ゆ
・空想し感傷しつつ機内燈ともれる下にしばしまどろむ
・雨ふかく梅の青葉を打つ音に苦しみてゐむ子がうへ思ふ

・隈も無く春の日の照る庭土にひがな向ひて言もなし母は
・金澤の狂院より電話かかり來て寂しきことを君が訴ふ
・孤獨に堪ふる母を思ひしとき法師蝉窓に來啼けり
・常臥(とこぶし)に呆けたりといふわが母が案じ來るなり妻の母をば
・文鳥は止り木を落ち夏終る雨のあしたに息絶えてゐき

・むさぼりてわが生きてをりある夜は逝きたるもののごとく眠れど
・堪性(こらへしやう)なくなりしかど努むべし机の下に蚊遣も置きて
・追詰めて打擲するに見上げつつ耐へし男(を)の子の顏を忘れず
・老いてなほ匡(ただ)しがたきを悲しめどこのまま行かん「い」と「え」の訛
・灯に向けて下げひろげたり亡き人の若書(わかがき)の幅(ふく)苔徑集(たいけいしふ)の歌

・冬空に鳶(とび)遠く鳴き謂(いはれ)なき孤りごころをふと反省す
・疲るればただちに上り横たはるベッドを側(わき)にわが勵(はげ)みたり
・老い逝ける亡骸小さし冬の野にしづまり果てし草の實のごと
・あけぐれの聲なき部屋や壁龕の灯のもとにあるごとき靜けさ
・原稿の桝目見えずと書き添へし老いたる人の歌たどり讀む

・病むゆゑに懈(たゆ)き躰(からだ)に集合と離散のさまを默(もだ)し見て來(き)ぬ
・三つほど輪ゴム出できぬ亂(らう)がはしきわれの机を片附けたれば
・沖繩のデモ隊映すテレビをば妻も娘もゐぬ晝に見てゐる
・戰ひを生き殘りし身つつしみてテレビ轟々の畫面に向ふ
・長(をさ)の娘(こ)の嫁して去りたる家なりと不圖(ふと)驚けり音ひとつ無し
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