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Channel: 水の門
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一首鑑賞(28):橋本喜典「amenとわれ」

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招かれていただく午餐慎しき友の祈禱(いのり)に amen とわれ
橋本喜典『悲母像』

 橋本が特にキリストを信じているわけではないことは歌集全体から読み取れる。ただ戦中に軍事教練を一緒に受けた旧友を訪ねて昼食を共にした時に、信仰を持つ友が食前の祈りを唱えてくれたということらしい。決して贅沢ではない食事を前に、訥々と感謝の祈りを捧げる友の声が聞こえてくるようだ。その祈りの真実さに自然と、橋本の口からも「アーメン」という言葉がこぼれた。温かな一首である。
 生涯をハンセン病の患者のために尽くした医師・林文雄の句文集にも、食前の祈りを詠んだ俳句が収められている。「炬燵」という一連から二つばかり句を引く。

  祈るとき坐りなほせるこたつかな/『林文雄 句文集~天の墓標』
  食前の祈に鍋のふつふつと/ 〃

 今ではテーブルの食卓を囲むのは当たり前の光景になったが、林が生きた大戦中はまだ炬燵や卓袱台で食事をするのはごく一般的なことであったろう。炬燵ではふだん胡座をかいているか脚を伸ばしているかしているところ、食前の祈りのために姿勢を正したという描写に非常に実感が籠っている。(礼拝でも説教中に私などは脚を組んでいることが多いが、牧師の「祈ります」の一言を受けて脚をといて姿勢を直しているものだ。)そして、目を瞑って祈っている最中、鍋のぐつぐつと煮える音と食欲を誘う香りが漂ってくる。まさに至福の時だ。
 似たような場面の親子を描いた歌もある。岡井隆の『αの星』の中の一首である。

  飲食のまへの祈りに子と和してあたたかき汁に顔ちかづけぬ

 この歌では、岡井が食前の祈りを祈り、最後に子供と共に「アーメン」と唱和したという場面であろう。家族で一人クリスチャンである私などには、岡井のように食卓で「アーメン」を共有できる家庭は、とても眩しく思える。

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