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Channel: 水の門
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一首鑑賞(23):横山未来子「ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを」

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ここにをらぬ人のためにも祈りゐるこゑを聴きをり小さき部屋に
横山未来子『午後の蝶:短歌日記2014』

『午後の蝶:短歌日記2014』は【ふらんす堂】のホームページに2014年の一年に亘って掲載された、一日一首の横山の短歌とそれに付された一言二言の短歌日記をまとめた歌集である。
掲出歌は、10月9日付けで記されたもので、次の小文が添えられている。

  昨日は「三浦綾子読書会短歌部門」の日だった。参加者は私も含めて七人。テキストは、小説『ひつじが丘』。約二十年ぶりに読んだが、ストーリー展開がドラマチックで引き込まれた。

読書会のメンバーは、多分クリスチャンが大半と見ていいだろう。会を始めるに当たって、今回参加できなかったメンバーのためにとりなしの祈りをしたのではないかと思われる。あるいは、義の道に餓え乾き三浦綾子の本に手が伸びた、名前も顔も知らぬ誰かのためにも祈ったのかもしれない。私達が信仰へと導かれ、また守られていくのは、実はそうした陰ながらの祈りに支えられていることを忘れてはならない。
『ひつじが丘』では、牧師夫妻の娘である主人公が親の反対を押し切って、身持ちのあまり良くない画家の男性の許へと駆け付けて、その後どうなっていくかという顛末が綴られる。家出以来実家に何の音沙汰もなかった主人公がいつか帰ってくることもあろうと、両親は夜中も施錠せず二年四ヶ月娘の帰りを待ちわびた。その間おそらく毎夜、夫婦は娘のために、そして娘の夫となった男性のために祈り続けた筈だが、小説中に特にそのような場面は現れてこない。
しかし、娘はあることをきっかけに二人住まいを抜け出し、夜中に実家へ帰り着く。日頃の憔悴から泥のように眠った主人公が明くる日の昼近くに目覚めると、教会を忌避していた夫が彼女を追って家に来ていた。日頃の不摂生がたたって夫は喀血し、牧師夫妻にお世話を受けるようになる。そうして居候しながらも彼は一度も教会堂に足を踏み入れることはなかった。けれど、牧師夫婦の温かさに触れて暮らすうちに、アルコールも断ち、いつしか心の毒気も清められていく。クリスマスイヴの夜、以前の女性関係を清算するために出かけた彼は、帰り道に凍死という形で息を引き取る。クリスマスイヴに主人公に贈りたいと彼がコツコツ制作していた絵は、十字架上のイエスと主を見上げる彼自身を描いたものだった――。

横山らが読書会の席で実際に祈ったであろうことを私は先に述べた。だが、こうして『ひつじが丘』の筋を辿ると、主人公が家出してから、また娘の夫と思いがけず共に暮らすようになってからも、夫婦が続けて彼のために祈ってきた声を、会の小部屋にありありと「聴いた」のだと取っても差し支えないように思われる。
とりなしの祈りをしながら、私達は時々雲を摑むような思いに捕われる。しかしそんな時「主は、従う人に目を注ぎ助けを求める叫びに耳を傾けてくださる」(詩編34編16節)という御言葉を心に留め、真実な主を覚えて歩んで行けたらと願うのである。

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