隣席は電子版聖書読む女ときをり印刷物(プリント)にチェックを入れて
真中朋久『火光』
今回の鑑賞は、聖書通読よもやま話に終始しそうなのを予め断っておく。
私がFEBCの聖書通読表に基づいて通読を毎日行うようになったのは、記録では2015年8月末からとなっている。2016年1月にFEBCのスタッフの方が通読の感想や疑問などを気軽にシェアできるTwitterアカウント(@febcjp)を新設してくださり、それに乗じてFEBC宛のリプライでどんどん聖書通読の感想を呟くようになった。当初の通読感想ツイートにも英訳を引用しての感想がところどころあるが、それは意味を深掘りしたい時に限られていた。黙想日記を振り返ってみると、英語の聖書(New International Version)を使って日々通読するようになったのは2017年2月半ばであったことが分かった。New International Version(NIV)は、アメリカ的な母教会に在籍時に入手したものだが、東京にいる頃はそんなに丹念には読んでいなかった。
私がなぜ通読に英語聖書を持ち出したのかは、キザに聞こえるかもしれないが、日本語では聖書をとことん読んでしまった感覚があり、新しい発見に飢えていたからだ。初めは当然、手持ちの NIV の《紙》の聖書を引っ張り出してきて英語の辞書と首っ引きで読んでいたが、それはもう一種修行のような様相。でも、そうやって《紙》ベースで読んでも、通読感想をするのはネット上である。となれば自然聖書を引き写すのも面倒になってきて、ネットで英語の聖書を読めるサイトを探し、見つけたのが【BibleGateway】だった。このサイトを通じて私はNIV通読を完遂した。
現在は英語での通読は New Living Translation(NLT)に移行しているが、きっかけは極めてアナログなところにあった。私が現在の所属教会に移ってきた時に在籍していた方で、夫君が神学校で勉強中のご婦人がいらした。対面での交流は半年ほどで、西日本の教会へ夫婦で赴任され、今に至っている。その方がある年に贈ってくださったクリスマスカードに印字されていた聖句が、NLT によるものだった。私はまず【BibleGateway】でNLTをチラ見して、だんだん気に入ってきたので、2019年1月、まずは新約聖書をNLTで読み始め、同年12月から旧約通読もNLTに切り替えた。
「電子書籍」と聞くだけで心にバリアを張る方も中にはいるかもしれないが、色々メリットはある。筆頭は単語検索機能だろう。私はオンラインの聖書は専らiPhoneのブラウザ上で無料で読んでおり、いわゆる聖書アプリなどは使っていないけれど、語意の分からない単語を長押しすると[調べる]というポップアップメニューが表示される辞書機能も大変便利である。また画面の大きさの制約上逐語読みになるので、かなり深く読めるという利点がある。一方、電子版の欠点はバッテリーの持ちの問題が大きい。逐語的な読みを強いられる中でバッテリーを気にしなければならなくなるとかなりストレスだ。先月中旬思い切って NLTの紙の聖書を購入したのも、そういう経緯からだった。紙のNLTを読み始めて三週間ほど経過してみて、ページが広く見渡せ、拾い読みができるという、紙の書籍ならではの良さを改めて感じている。その裏腹の問題としては読みが浅くなりがちという点が挙げられるだろう。
穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に次の歌がある。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
この一首について、穂村弘自身が『世界中が夕焼け〜穂村弘の短歌の秘密』(穂村弘・山田航 共著)の中で、「行為としては冒瀆的でありつつ、聖書を熟読している、或いはその逆。そのへんの両義性ですよね」と自註しているが、これには唸る他なかった。受洗まもない私は4色ボールペンで聖書に線を引きまくっていたが、これは聖書を熟読し、憶える上で大変有効であった。しかしこの聖書を開けば引かれた線がいつも目に付いてしまうので、初読の読み以上に深く聖書が入ってこなくなるという点で非常に厄介であり、私は後年その聖書を廃棄して真っさらの聖書を買った。以来、どんな聖書を買っても、線引き・書き込みなどは全くしていない。
その意味で、掲出歌の「電子版聖書読む女」が、「ときをり」聖書とは別に用意された「印刷物(プリント)にチェックを入れ」つつ読むというのは、よっぽど聖書を読み込んでいる人なのだろうと察しがつく。同時に、三十一文字でその人物像を描き切った真中の眼力にはただ恐れ入ったのである。
真中朋久『火光』
今回の鑑賞は、聖書通読よもやま話に終始しそうなのを予め断っておく。
私がFEBCの聖書通読表に基づいて通読を毎日行うようになったのは、記録では2015年8月末からとなっている。2016年1月にFEBCのスタッフの方が通読の感想や疑問などを気軽にシェアできるTwitterアカウント(@febcjp)を新設してくださり、それに乗じてFEBC宛のリプライでどんどん聖書通読の感想を呟くようになった。当初の通読感想ツイートにも英訳を引用しての感想がところどころあるが、それは意味を深掘りしたい時に限られていた。黙想日記を振り返ってみると、英語の聖書(New International Version)を使って日々通読するようになったのは2017年2月半ばであったことが分かった。New International Version(NIV)は、アメリカ的な母教会に在籍時に入手したものだが、東京にいる頃はそんなに丹念には読んでいなかった。
私がなぜ通読に英語聖書を持ち出したのかは、キザに聞こえるかもしれないが、日本語では聖書をとことん読んでしまった感覚があり、新しい発見に飢えていたからだ。初めは当然、手持ちの NIV の《紙》の聖書を引っ張り出してきて英語の辞書と首っ引きで読んでいたが、それはもう一種修行のような様相。でも、そうやって《紙》ベースで読んでも、通読感想をするのはネット上である。となれば自然聖書を引き写すのも面倒になってきて、ネットで英語の聖書を読めるサイトを探し、見つけたのが【BibleGateway】だった。このサイトを通じて私はNIV通読を完遂した。
現在は英語での通読は New Living Translation(NLT)に移行しているが、きっかけは極めてアナログなところにあった。私が現在の所属教会に移ってきた時に在籍していた方で、夫君が神学校で勉強中のご婦人がいらした。対面での交流は半年ほどで、西日本の教会へ夫婦で赴任され、今に至っている。その方がある年に贈ってくださったクリスマスカードに印字されていた聖句が、NLT によるものだった。私はまず【BibleGateway】でNLTをチラ見して、だんだん気に入ってきたので、2019年1月、まずは新約聖書をNLTで読み始め、同年12月から旧約通読もNLTに切り替えた。
「電子書籍」と聞くだけで心にバリアを張る方も中にはいるかもしれないが、色々メリットはある。筆頭は単語検索機能だろう。私はオンラインの聖書は専らiPhoneのブラウザ上で無料で読んでおり、いわゆる聖書アプリなどは使っていないけれど、語意の分からない単語を長押しすると[調べる]というポップアップメニューが表示される辞書機能も大変便利である。また画面の大きさの制約上逐語読みになるので、かなり深く読めるという利点がある。一方、電子版の欠点はバッテリーの持ちの問題が大きい。逐語的な読みを強いられる中でバッテリーを気にしなければならなくなるとかなりストレスだ。先月中旬思い切って NLTの紙の聖書を購入したのも、そういう経緯からだった。紙のNLTを読み始めて三週間ほど経過してみて、ページが広く見渡せ、拾い読みができるという、紙の書籍ならではの良さを改めて感じている。その裏腹の問題としては読みが浅くなりがちという点が挙げられるだろう。
穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』に次の歌がある。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、きらきらとラインマーカーまみれの聖書
この一首について、穂村弘自身が『世界中が夕焼け〜穂村弘の短歌の秘密』(穂村弘・山田航 共著)の中で、「行為としては冒瀆的でありつつ、聖書を熟読している、或いはその逆。そのへんの両義性ですよね」と自註しているが、これには唸る他なかった。受洗まもない私は4色ボールペンで聖書に線を引きまくっていたが、これは聖書を熟読し、憶える上で大変有効であった。しかしこの聖書を開けば引かれた線がいつも目に付いてしまうので、初読の読み以上に深く聖書が入ってこなくなるという点で非常に厄介であり、私は後年その聖書を廃棄して真っさらの聖書を買った。以来、どんな聖書を買っても、線引き・書き込みなどは全くしていない。
その意味で、掲出歌の「電子版聖書読む女」が、「ときをり」聖書とは別に用意された「印刷物(プリント)にチェックを入れ」つつ読むというのは、よっぽど聖書を読み込んでいる人なのだろうと察しがつく。同時に、三十一文字でその人物像を描き切った真中の眼力にはただ恐れ入ったのである。